日産マーチNISMO Sのフロントビュー《撮影 井元康一郎》

日産自動車はブランド力強化策として、スポーツラインの「NISMO」を展開している。商品はカスタマイズ子会社オーテックでカタログモデルを改造するという形で供給され、車種はトップモデルの『GT-R』、ミニバン『セレナ』、ピュアEVの『リーフ』等々、多岐にわたる。そのシリーズのボトムエンド『マーチNISMO S』で700kmほどドライブする機会があったので、インプレッションをお届けする。

マーチNISMO Sは2013年、現行マーチに追加設定される形で登場した。補強ボディ、ローダウンサスペンション、エンジンは1.5リットルに換装、外装はフルエアロ、内装は専用シートと、とにかく改装メニューは盛りだくさんだ。ドライブルートは関東一円で、道路比率は市街地4、郊外路4、高速3、山岳路1。路面コンディションはドライ8、ウェット2、1〜3名乗車、エアコンON。

まずはマーチNISMO Sの長所と短所を5つずつ挙げてみよう。

■長所
1. 今どきこんなクルマが残っていてよかったと感銘を覚える痛快無比なハンドリング。
2. 5段ながらクロスレシオが小気味良い手段変速機。
3. 空力的付加物のおかげか、高速域での安定性はノーマルとは別モノ。
4. ホールド性、タッチとも良好で、クルマの姿勢変化が腰で感じられるスポーツシート。
5. 案外荷室が広いなど実用性は高い。

■短所
1. ベースのマーチがこの手のカスタマイズを施すのに似合っていない。
2. ギア比が全体的に低く、6速を持たないためか燃費が悪い。
3. 排気量1リットルあたり80psにも達しないエンジンのわりにハイオク指定。
4. ハイチューンシャシーでこれなら上等だと思うが、一般的には乗り心地は悪いであろう。
5. 先進安全装備を持っていない。

◆想像をはるかに超えた痛快コンパクトハッチ


現行マーチはASEAN市場をメインターゲットとしたバジェットミニカー。それをオーテックが料理したらどんなクルマになるのだろうか。追浜にある日産のクローズドコースでチョイ乗りしたときは何やら面白そうな感じも受けたのだが…などと思いつつ、マーチNISMO Sでプチ遠乗りしてみたのだが、実際にドライブしてみると想像をはるかに超えて濃密なスポーツテイストを持つ痛快なコンパクトハッチだった。

国産チューンドにはトヨタの「G's」改め「GR」、ホンダの「モデューロX」、スバル「STI」など多くの銘柄があるが、チューニングの主流はツーリング風味。マーチNISMO Sはそれらのライバルと比べてもとんがりぶりという点ではダントツだ。

テイストが似ているクルマとして即座に思い浮かぶのは、以前日本で販売されていたルノーのホットハッチ『トゥインゴRS シャシーカップ』。折りしも日産とルノーは今日、アライアンスを巡って関係が悪化しているが、ことクルマの味付けの哲学に関する限り、両社は非常に似ている。いろいろ複雑な事情を抱えているのだから致し方ないとはいえ、もっと仲良く出来れば相性はいいのにと思うことであった。


痛快さの9割を占めるのは質の高いハンドリングと圧倒的なコーナリングフォースである。しょせんAセグメントミニカーと侮るなかれ。コーナリング速度は掛け値なしに本当に速い。速さだけでなく操舵フィールもノーマルのマーチのゆるさとはまったく別モノ。ステアリングの切り足し、切り戻しにきっちり比例する形でロール角、横Gが変化するためクルマの姿勢を瞬時につかめる。まさしく自由自在の操縦性だった。

単に足を固めたり、前後のロールバランスをしっかり取ったりといったことだけではこうはならないだろう。チューニングメニューにあるボディ補強がよほどうまく決まっているように感じられた。205mm幅のブリヂストン「ポテンザRE-11」という古典的鬼グリップタイヤが装着されていたが、その強大なドライグリップにボディ側のねじれ剛性がまったく負けていない。S字コーナーの切り返しでも前左右サスペンションの間が何かすごい剛性の棒で直結されているような感覚で、それがハンドリングの精度向上に大いに貢献しているように思えた。

◆接地感、滑らかさはAセグメントのレベルを完全に超越


そんなハイグリップタイヤを使い切るようなセッティングゆえ、サスペンションはさすがに固い。一般的な基準で言えば乗り心地は明らかに悪く、とくにシートのしょぼい後席からは苦情が出かねないレベルであった。が、こういう痛快系のクルマを欲するユーザーにとっては、この乗り心地はネガにはならないだろう。一般的な基準でみれば乗り心地悪いというだけであって、固いサスペンションの作り方の巧拙という観点ではむしろエクセレント。

固いので揺動は常に付きまとうのだが、1cm以下のピッチの道路のうねりや段差舗装などのいなしはハイレベル。接地感、滑らかさはAセグメントのレベルを完全に超越していた。上位のスポーツカーでもこういうのはなかなかない。また、路面からの衝撃も“ガチンガチン”ではなく“ゴトンゴトン”というフィールで、このたわみの少ないタイヤを使いながらよくここまで仕上げたものだと感心しきりであった。


クルマの動きを良く感じさせるファクターとしてもうひとつ思い浮かぶのはスポーツシート。全体的にはガッチリとホールドするバケット形状ではなくゆるゆるのツーリングシートなのだが、腰部のサポートの作りが適切で、クルマの動きを腰で感じ取りながらスキーで滑走するようなナチュラルさで運転できた。

ノーマルのマーチと別物になったのは、峠だけではない。空力的にはほとんど再設計状態というくらいに空力パーツで固めた効果は高速道路で如実に体感できる。短いクルマは後方乱流の制御が難しいため高速安定性では不利なのだが、マーチNISMO Sは夜間の高速の追い越し車線をぶっ飛ばす欧州車をちょっと追いかけるくらいのペースではびくともしない直進性を示した。もちろん道路交通法を逸脱すると免許の点数を減らすハメになるリスクが高まるので推奨はしないが、能力的には太鼓判を押せる。

◆必要十分なパワー。だが燃費は…


次にパワートレイン。エンジンは標準の3気筒1.2リットルではなく4気筒1.5リットルのHR15DE型で最高出力116ps(85kW)、最大トルク15.9kgm(156Nm)。変速機は5速MT。エンジンについては日産は専用チューンをうたっているが、海外の別モデルでは同じチューニングの同型エンジンが存在していることから、おそらくそれを日本の排出ガス規制に適合された程度の改変であろう。

スペックは目を見張るようなものではないが、車重約1トンのマーチを速く走らせるのに必要十分といえる最低限の能力は持ち合わせており、とくに中高回転では結構活発だ。5速MTでは段数に不満を覚えるのではないかと思われるかもしれないが、ギア比はかなり低く、5速でもメーター読み100km/hで3000rpm、実測100km/hで3200rpmも回る。クロスレシオ6速MTからトップギアを取り去ったようなもので、各変速段のつながりは実によろしく、N1レースカーみたいだ。

そのぶん燃費面はネガティブ。横浜出発直後に満タン給油後、高速、郊外道、表筑波スカイラインをはじめとする山岳路を走り回った352.1km区間が15.5km/リットル(給油量22.68リットル)。郊外路3、市街地7の比率で走り回った249.3km区間が12.2km/リットル(給油量20.51リットル)。いくら1.5リットルエンジン+ローギアード5速を積んでいるとはいえ、Aセグメントとしては財布への打撃はかなり大きい。


しかも、レギュラーガソリンのオクタン価が95RONの海外仕様エンジンがベースであるため、排気量1リットルあたりの出力が80馬力にも満たないにもかかわらず日本ではプレミアムガソリン指定なのも痛さに拍車をかける。たまの遠出ならいいが、年間走行距離が長いユーザーにとっては気になるところだろう。ちなみにオンボード燃費計はかなりの過大表示で、このくらい経済的に走れているのだから少々飛ばしてもいいやと思って運転すると、ガソリンを入れてみてショックを受けることになる。

その他の使い勝手は、ベースのマーチがこれをファーストカーとして使うASEANユーザーをターゲットにしていることから、結構いい。とくに高く評価できるのは荷室の広さで、荷物置き場程度というのが普通のAセグメントの域は完全に越えている。荷物が少なめなら4人の宿泊旅行も楽勝なはずだ。また、室内スペースも外見から受けるイメージよりは広く、そこそこの居住感はある。

◆「媚びる」なら市場にではなく、ユーザーの潜在的願望に媚びるべき


このように、マーチNISMO Sはこと、ホットハッチファンにとっては非常にラブリーな仕立てのクルマであった。わずか700km弱のお付き合いではあったが、個人的な不満点はガソリン代が高くついたことくらいで、軽くて速くて本当に楽しかったという思い出が先に立つ。

タイトコーナーではリアルスポーツを引き離せるのではないかというくらいに速いコーナリングスピード、高い動的質感、ノーマルと全然異なる巌のようなボディ、タッチの良いシートなど見るべきところは多く、走りに関する部分で不満があるのはシフトレバーのなまくらなフィールくらいか。先にも述べたが、ルノー・トゥインゴRSシャシーカップにも似たこういう味付けのスポーツハッチは今や絶滅危惧種。こんなクルマが今どき新車で売られているというだけで素敵なことだと思った。

マーチNISMO Sに合うユーザーは言うまでもなく、モータースポーツライクな操縦フィールのクルマを低価格で楽しみたいという人。小さくなるにつれてとんがり具合が増してくるNISMOのラインナップの中で出色なのは1クラス上の『ノートNISMO S』だと思っていたが、車重が軽く、ホイールベースも短いマーチNISMO Sは、痛快さ、エキサイティングさの点だけをみればそれよりさらに上であるように感じられた。半面、人を乗せる機会があり、普段はタウンライドやツーリングがメインで、たまに元気のいい走りを楽しみたいというユーザーは別のクルマを選んだほうが無難だろう。

つくづく惜しまれるのは、日産の世界戦略だ。マーチがもっと先進国ユーザー好みのクルマであったら、こういうふうにNISMO仕立てにするのも断然似合ったことだろう。実際のマーチNISMO Sは、ノーマルからの強化メニューを山のように盛り込み、レースベース車のような仕立てにしたこのクルマが184万円で販売されるのは大サービス状態だということを理解している人以外は、「しょせんアジアンマーチでしょ」「形が全然スポーティじゃないし内装の質感も悪いし」などと、見向きもしない。わかっている人たちだけが買うというのもありと言えばありなのだが、それでは世界は広がらない。

せっかくこんなクルマを作れるだけの実力を今も維持しているのだから、ベース車両からしてそういうブランドなのだなあとユーザーから見てもらえるクルマ作りに回帰していけば、そこにも道がありそうなのに。媚びるなら市場に媚びるのではなく、ユーザーの潜在的願望に媚びるべきであろう。

日産マーチNISMO Sのフロントビュー《撮影 井元康一郎》 日産マーチNISMO Sのリアビュー《撮影 井元康一郎》 日産マーチNISMO Sのサイドビュー《撮影 井元康一郎》 日産マーチNISMO Sの後ろ正面《撮影 井元康一郎》 バンパーはスポイラー形状に改められている。下部は整流効果を持つフローティングフィレット。《撮影 井元康一郎》 NISMO Sエンブレム《撮影 井元康一郎》 サイドアンダースカートはリア下方向に空気を流す形状。NISMO車は全般的にこういう形で、さらには日産のルマンカーとも共通性がある。古くからレースと市販車を両方やってきたオーテックらしさがにじみ出る部分だ。《撮影 井元康一郎》 幅205mmのオーバーサイズタイヤを履くためアーチが増設されたフロントフェンダー。《撮影 井元康一郎》 タイヤはブリヂストン「ポテンザRE-11」。モデルとしては古いが鬼グリップタイヤの一種だ。《撮影 井元康一郎》 空気圧は2.2kg/cm2と低め。固いタイヤの変形を効果的に使うナイスなセッティングだ。《撮影 井元康一郎》 ミラーまわり。白にオレンジのアクセントは結構洒落ているように思えた。《撮影 井元康一郎》 リアエンド。こちらもフロント同様、下端に整流効果を持つ別体のフィレットが。《撮影 井元康一郎》 安定性向上を狙ってか、全長はノーマルより長く。《撮影 井元康一郎》 ルーフスポイラー《撮影 井元康一郎》 1.5リットルエンジン。性能は大したことはないが、軽量ボディに大排気量エンジンの組み合わせによるパンチ力は出ていた。《撮影 井元康一郎》 マフラーもNISMO特製だ。《撮影 井元康一郎》 コクピットまわり。《撮影 井元康一郎》 前席はニスモのシート。ノーマルとはまったく別物のスポーツシートだ。《撮影 井元康一郎》 ステアリングはバックスキンを一部に配したスポーティタイプ。《撮影 井元康一郎》 メーター。レッドゾーンは6500rpmから。《撮影 井元康一郎》 5速MTのシフトレバー。《撮影 井元康一郎》 センターコンソール。内装は全体的にプラスチッキーで、東南アジア向けのバジェットミニカーらしさが出てしまっていた。《撮影 井元康一郎》 ミニカークラスだが、リアシートの空間はそこそこ確保されている。《撮影 井元康一郎》 カーゴスペースはAセグメントミニカーの中では大きめ。《撮影 井元康一郎》 成田空港近くで記念撮影。《撮影 井元康一郎》 総走行距離684.3km。思いがけず楽しいツーリングだった。《撮影 井元康一郎》