ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》

◆足をつかずに完全静止を実現する「スタンディングアシスト」

左ハンドルに備わるスイッチを押すと、「ピー」という電子音が鳴り響く。音量はそこそこ大きめ。信号で立ち止まっている人が「?」という顔でこちらに視線を向けると、それがすぐに「!」という感じになる。

なぜなら、異形のスクーターがまっすぐ停止しているからだ。いやそれ自体はいいとして、ライダーである私はステップボードに両足を載せたままである。つまり、地面に足を着くことなく、ピタッとその場に静止している様に多くの人が驚くのだ。

バイクでも自転車でも、信号待ちの時にスタンディングしている人は時々いる。ハンドルや身体を小刻みに動かしてバランスを取るちょっとした芸で、できないよりはできた方が尊敬される。たぶん。あれと同じことをシートに座ったまま、しかもピクリともせずにやってのけるには驚異的な体幹が求められるが、ヤマハの3輪スクーター『トリシティ300』ならできてしまうのである。


その秘密は、「スタンディングアシスト」と呼ばれるそのものズバリの機能による。車体が傾かないように足まわりを固定する技術で、子ども用3輪車と同様に、その場で自立することが可能になった。

「というか、3輪なのにそれができなかったの?」と思う人がいるだろう。そう、できなかった。というか、しなかったのである。ヤマハは3輪モビリティの開発に熱心で、2014年に『トリシティ125』を発売。以来、『トリシティ155』や『ナイケン』といったモデルを送り出し、新しい可能を模索してきた。その目的は安定性を引き上げ、転ぶリスクを可能な限り抑止することにある。

バイクを単に3輪化し、それこそ子ども用3輪車やトライクのようにハンドルを切って曲がる構造にするなら話は簡単だ。タイヤのトレッド幅を広げれば、転倒の可能性はいくらでも低くできるに違いない。しかしながら、「だったら4輪にした方がもっと安定するし、結局クルマでよくない?」となる。だからあえてしなかった。



◆使いこなせば、まったく足を着く必要がない?

ヤマハとしては、バイクの軽快感と3輪の安定性を両立させたい。そう考え、LMW(リーニング・マルチ・ホイール)というアイデアを最初にトリシティ125へ投入。これによって、旋回する時は車体をバンクさせる、バイクならではの醍醐味を残してくれたのだ。

トリシティ155もナイケンもこれに倣った機構を持ち、自立こそできないが、抜群のスタビリティを披露してくれる。特に雨が降った時、路面が荒れている時、段差を乗り越える時に本領を発揮。普通ならヒヤッとしたり、グラッとする場面でもほとんど何事もなく走破できるのである。

人間とは贅沢で、「これで勝手に立ってくれたら最高なんだけど」と思い始めるものだ。ヤマハの開発陣もそうだったに違いなく、技術屋魂をくすぐられたのだろう。結果的に、既述のスタンディングアシストが生まれ、このトリシティ300に投入されたのである。


このアシストはいつでもどこでも作動するわけではなく、次の条件が求められる。

1、車速10km/h以下
2、スロットル全閉時
3、エンジン回転数2000rpm以下
4、スタンディングアシストスイッチがON

これを上手く活用すれば、停車寸前にスイッチを入れて止まり、そのまま発進することもできる。極端な話、家を出てから戻るまで一度も足を着かないことも可能なわけだが、そういうサボリ運転をヤマハは決して薦めていない。

実際ちょっと注意が必要なのは、作動させた際に車体が傾いていた場合には、そのままの状態でロックされるため、走り出す時にそれが解除されて「オットット」となることがある。単独での自立をうながすものではなく、あくまでも補助機構という認識が必要だ。

便利さを感じるのは、押し引きや取り回しの時だ。車重は237kgもあり、車体も大きいが、スタンディングアシストはエンジンが掛かっていなくても作動してくれる。そのおかげで車体を支える力が格段に軽減され、うっかり倒すミスが限りなくゼロに近づいた。

◆便利なスクーターというより快適なグランドツアラー


走りの方はどうかと言えば、その車重が信じられないほど、スムーズに車速が上がっていく。搭載されるエンジンは292ccの水冷単気筒で、最高出力は29psと控えめながら、スロットルレスポンスに緩慢さはない。充分なトルクをともなって加速し、100km/h巡行も余裕でこなしてくれる。

ハンドリングはLMWらしく、いかなる時もフロントは安定。走行中はその車重がプラスに働き、路面をしっかりグリップ。高い接地感が伝わってくるため、転ぶ気がしない。

動力性能に文句はない一方、唯一気になったのがウインドシールドだ。高くも低くもない微妙な位置にあり、上部のフチが常に視界に入るのだ。もちろん体格によって印象は異なるだろうが、チェックした方がいいだろう。

さて、トリシティ300を様々なシチュエーションで乗ってみた結果、リターンライダーがツーリングを楽しむのにマッチしそうだ。操作の安楽さ、スタビリティの高さ、荷物の積載能力、必要充分にして穏やかなエンジン特性。これらがバランスした一種のグランドツアラーと考えてよく、もしタンデムをした場合は、リアシートの乗員も安心して身を委ねられるはずだ。

オプションは豊富に用意されているとはいえ、グリップヒーターやシートヒーター、可変ウインドシールド、ETC車載器などを標準装備した仕様があると、このモデルの存在価値がさらに高まるに違いない。

いずれにしても、3輪ならではのメリットが目に見えるカタチになったのが、このトリシティ300だ。転ばないバイクに向かって、一歩前進したことの意義は大きい。


■5つ星評価
パワーソース:★★★
フットワーク:★★★
コンフォート:★★★★
足着き:★★★
オススメ度:★★★★

伊丹孝裕|モーターサイクルジャーナリスト
1971年京都生まれ。1998年にネコ・パブリッシングへ入社。2005年、同社発刊の2輪専門誌『クラブマン』の編集長に就任し、2007年に退社。以後、フリーランスのライターとして、2輪と4輪媒体を中心に執筆を行っている。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム、鈴鹿8時間耐久ロードレースといった国内外のレースに参戦。サーキット走行会や試乗会ではインストラクターも務めている。

スタンディングアシストのスイッチ《写真提供 ヤマハ発動機》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》 ヤマハ トリシティ300《写真撮影 小林岳夫》