スズキ 鈴木修会長《撮影 池原照雄》

◆2012年の米国に続く撤退

スズキが中国で現地メーカー2社との合弁を相次いで解消した。ライセンス生産は一部残すものの、事実上の事業撤退となる。同社の四輪車部門としては2012年の米国に次いでの撤退であり、世界の2大市場でビジネスを行わないという異例の戦略をとる。狙いは独走状態にあるインド事業の一段の強化だ。鈴木修会長が下す「最後の勇断」ともなりそうだが、その勝算は?

スズキは1993年に軽自動車ベースの『アルト』で中国市場に進出した。日本メーカーとしては早めの進出であり、1983年にアルトをベースにしたモデルで足場を築いたインドに次ぐ重点新興市場として開拓に乗り出した。しかし、一貫してモータリーゼーションの中核を担ってきたインドとは違い、群雄割拠の中国での事業は伸び悩んだ。重慶長安汽車および河西昌河汽車との合弁2社の生産はピークの2010年度に29万台だったものの、17年度には9万台弱に落ち込んでいた。

中国ではSUVや大きめのセダンなどが人気で、スズキが得意とする小さいクルマは年々難しくなっている。合弁解消に当たり、鈴木会長は「中国が大型車の市場に変化してきた」とコメントした。大きいクルマが好まれるのは12年に撤退した米国と似ている。

加えて中国では19年から、電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHV)を中心とする電動車の生産・販売を一定量義務付ける「NEV(新エネルギー車)規制」が始まる。スズキはトヨタ自動車との提携で電動車の開発を加速させる方針だが、製品化にはまだ時間を要す。これも中国から身を引く要因となった。

◆1000万台市場でシェア50%を守るには

スズキには、中国という世界最大市場への対応よりも全身全霊を傾注すべきターゲットがある。鈴木会長が5月の決算発表会見や6月の株主総会で言及したインドでの「500万台構想」である。インドの新車市場は中国、米国、日本に続く4番目の規模に成長してきたが、鈴木会長は今後も年率9%ほどの成長が期待でき、30年には1000万台市場になると見立てている。そして、現状で50%に及ぶスズキの販売シェアを維持するには30年に「500万台を販売しなければならない」(鈴木会長)とし、これを中長期の目標に掲げたのだ。

スズキの17年度のインドの販売実績は前年度比14.5%増の165万4000台と、SUV『ビターラ・ブレッツァ』などの新商品群をテコに大きく伸ばした。同社のグローバル販売のうちインドは50%強を占めており、営業利益が過去最高の3742億円(前年度比40%増)となった17年度の業績更新に貢献した。今年度の第1四半期(18年4〜6月期)もインドの販売は前年同期比26%増の46万台と好調を持続しており、第1四半期の売上高営業利益率(11.8%)が日本メーカーのトップに躍り出る原動力になった。

◆トップ在任40年の集積が導き出した「選択と集中」

スズキの好業績には成熟市場である日本や欧州でのオペレーションも貢献しているが、インドという高成長市場で半数のシェアを抑えることの威力を見せつけている。ここを金城湯池の構えにしてシェアを守り抜けば、「浜松の中小企業」(鈴木会長)にも業界トップの収益力をもちながら明るい未来が開けるというのが、鈴木会長の読みであろう。

自動車メーカー1社がひとつの国で、年間500万台の販売実績を挙げた例は、自動車産業史上まだない。一番近いのは独VW(フォルクスワーゲン)による17年の中国販売(418万台)だった。かつての提携パートナーであるVWは中国、スズキはインドで、それぞれ未踏の境地へ挑んで行く。

それにしても、中国と米国という2大市場に背を向けるリスクはどうなのか。17年の世界の新車市場は9500万台規模で、うち中国と米国の合計が約4600万台なので、ほぼ半数を占めているのだ。スズキの中国市場への処し方は、現状の中途半端な事業継続の方が、撤退よりもリスクが高いと判断したからにほかならない。究極の「選択と集中」ともいうべき今回の鈴木会長の決断は、1978年の社長就任から40年に及ぶトップとしての数々の成功と辛苦の集積から導き出された故に重く、進むべき方向としての説得力をもつ。

マルチスズキ・ビターラ・ブレッツァ スズキのグジャラート工場(インド) インド製のスズキ・スイフト