カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 青木タカオ》

カワサキが2021年2月に発売する新型車『メグロK3』の実車を目の当たりにし、思わず涙ぐんだ。大げさかもしれないが、1971年製のカワサキ『W1SA』(ダブワン)を所有して26年となる筆者(青木タカオ)にとって、“メグロ”というブランドにはそれほどに特別な想いがある。

話は長くなるが、カワサキとメグロの関係に興味があれば、少しだけお付き合いいただきたい。まず、筆者が今も乗るダブワンのルーツがメグロ=目黒製作所にある。搭載する空冷OHV直立2気筒=バーチカルツインエンジンなど、『メグロK2』(1965年式)から踏襲しているのだ。

◆戦前から国産大排気量車を生産し、オリンピックでも雄姿


目黒製作所は1924年(大正13年)に東京市大崎区目黒村(現品川区)にて創業し、1932年(昭和7年)の時点で日本製としてはまだ珍しい500ccという大排気車『Z97』型で完成車の販売を開始している。

バイクファンならお気づきだろう、『Z1』(1971年)より先に“Z”が車名に用いられ、これは戦前の日本海軍における「奮励」を意味するZ旗に由来し、97は神武天皇即位紀元による皇紀2597年から命名した。

大排気量車を生産する数少ない国産メーカーとして戦前戦後を通して官庁に白バイを納入し、1964年(昭和39年)の東京オリンピックでも先導車として活躍。世界中にその雄姿を披露している。

第二次世界大戦中、最大速度610km/hの高性能を誇る三式戦闘機「飛燕」などを製作した川崎航空機工業(現・川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー)は、1960年(昭和35年)に目黒製作所と業務提携を結び、1964年(昭和39年)をもって一体化。その年、『カワサキ500メグロK2』が東京モーターショーで披露され、翌65年に発売。66年にはK2のエンジンを拡大し、『W1』が誕生した。

◆カワサキビッグマシンの礎築いたメグロ〜Wの系譜


カワサキ大排気量車の礎を築いたメグロそしてW1からW3(650RS=1973年)へといたる系譜だが、圧倒的人気を誇るのはやはり“Z”系であり、ダブワン乗りの筆者がメグロ〜Wの系譜をいくら熱弁しようとも、多くのライダーにはその思いはまったく届かなかった。

もちろん熱狂的ファンは全国に数多く存在し、ダブワンはもちろんメグロを現役で乗る先輩ライダーは決して少なくない。そんな愛好家たちが、今回の新型『メグロK3』の発売をどれほど喜ぶことだろうか。発表前、極秘でおこなわれたプロモーション撮影で、戦中の疎開以降、目黒製作所が拠点とした栃木県那須烏山市へ行くと、新型車両はすぐに見つかり、多くのメグロファンに取り囲まれたという。

目黒製作所で働いていたという人もそこにはまだいて、オールドメグロを複数台所有する愛好家もいた。川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー営業本部マーケティング課の奥村和磨主事は、秘密厳守の車両がバイクファンらの目にとまり肝を冷やしたが、新型『メグロK3』が熱烈な愛好家たちに受け入れられたことを知り、胸をなでおろしたという。

◆メグロの物語再び


2021年型として登場する『メグロK3』が我々報道陣に披露されたのは、カワサキ正規販売店のフラッグシップ店であるカワサキプラザ東京等々力。そこにはメグロK2も展示され、新旧メグロが揃った。

あくまでもZシリーズに対する嫉妬(筆者はZも大好き)でしかないが、これまで陽の目を見ることが少ない印象だったメグロが復活し、こうして脚光を再び浴びている。とても嬉しくて、筆者は帰宅してすぐに自分のダブワンを見た。メグロ由来のバーチカルツインはK2と瓜二つで、伝統あるカワサキのオーナーであることがとても誇らしい。

さて、次に涙腺が緩むのは『メグロK3』を走らせたときだろう。美しいメグロのエンブレムをゆっくりと撫で、直立2気筒エンジンのサウンドに酔いしれてみたい。

戦前から国産大排気量車を生産し、オリンピックでも雄姿《写真提供 カワサキモータースジャパン》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》 1965カワサキ500メグロK2《写真撮影 釜田康佑》 カワサキニューモデル メグロK3《写真撮影 釜田康佑》