光岡 バディ《写真撮影 中村孝仁》

その名をミツオカ『バディ』という。大人気だそうだが、そこには最近のユーザーが求める自動車像の変化があるような気がする。

アメリカ車通ならこのクルマを正面から見た時、それがシボレー『K5ブレイザー』あたりに原点を求めたデザインであるることは一目瞭然である。ならばオリジナルに乗れるか?といえばおいそれとはいかない。そもそもこの年代のK5ブレイザーを中古で探してもほとんど出てこないし、第一仮にあったとしてもそれを維持して快適に乗ろうと思ったら相当な出費を覚悟しなくてはならない。

勿論いわゆるクラシックカーファンであればその限りではないが、一般的なユーザーは第一にフールプルーフに使えて快適に走れ、壊れないことを大前提として車を選ぶ。その結果として自動車メーカーは尖ったメカニズムや個性的なデザインを避け、無難なクルマ作りに終始しているのが現状といえよう。だから横並びにクルマを並べてみると、どれもこれも似ている…というか個人的な感想を述べさせてもらえばどれも似たり寄ったりのモノが出来上がってしまっている気がしてならないのである。

◆ただの「古き良きアメリカン」ではない


ミツオカについてはあまり良く知らない人が多いと思う。この会社、1968年に個人創業され、その後1979年に株式会社光岡自動車として正式発足。その僅か3年後にはオリジナルカーの製作に着手している。つまり、初めから自社ブランド物を生産することが目標だったように思えるわけだ。とは言うものの、日本市場におけるオリジナル車登録のハードルは非常に高く、それが今のようなクラシックタイプの改造車がミツオカの主力製品となっていく理由でもあったと思う。

バディはそんな改造車を専門としてきた光岡自動車の自信作であろう。ベースとなっているのはトヨタ『RAV4』だ。これまでもマツダ『ロードスター』や日産『マーチ』、あるいはトヨタ『カローラフィールダー』など、多くのメーカー車両をベースに独自のボディを架装して個性的なモデルを作り上げてきた。冒頭にも話したようにバディは一見するとK5ブレイザーの雰囲気を持っているが、それはあくまでも顔つきだけ。それ以外のフォルムやデザインは古き良きアメリカンのイメージは持つものの、独特な世界観を築き上げている印象を持つ。


何よりも初期の頃のミツオカモデルと比べたら、その工作精度がグンと向上して驚かされるところがある。特にメッキの精度は非常に高く、リアのバンパーはそれが樹脂製であることは言われなければ気が付かない。またフロントグリルも今回試乗したモデルこそあくまでプロトタイプのため、削り出しのものが採用されているが、市販モデルはABS樹脂になるという。

このプロトタイプは他にもボンネットインナーの形状と接合が違っていたり、リアゲートがFRP製であったりと量産型との相違点があった。特にリアゲートは持ちあげるのに重く、心配してしまったが量産はPP(ポリプロピレン)のインジェクションものに変えられて軽量化されるというから安心した。

◆ベース車が「RAV4」であることのメリット


メカニズムには一切手が加えられていない。即ちRAV4の2リットルガソリンエンジンを搭載したFWDモデルだ。実際にオリジナルのRAV4とは少しだけ異なった印象が得られた。一つは全体的に乗り味にシャープさが欠けること。そのあたりもむしろ、60年代アメリカンの雰囲気といえばそちらに近い。

理由はRAV4よりも若干重い車重と、試乗車に装着されたディーン製のアルミホイールにBFグッドリッチ製のオールテレインタイヤ(扁平率は70である)が、ステアリングの入力に対し、緩やかな反応を示すためと思われた。それ以外は、RAV4そのものといって良い。因みにこのディーン製のホイールも見た目は俗に言うテッチン風である。

ご存知の通りRAV4は世界販売が年間100万台に迫るベストセラー車である。そんなわけだから開発にかけるリソースも大きく、細かいところまで実に良くできたクルマだ。その良さを活かさない手はなく、バディはその良さを存分に使いきったところが実は大きなメリットで、冒頭に述べたフールプルーフに使えて快適に走れ、壊れないという部分を十分に満足させ、かつ最新のADAS機能もふんだんに搭載されている。その上で個性豊かなスタイルと潤沢に用意されるオプションでさらに唯一無二の存在に仕上げていく楽しさがある。


そもそも、バディは年間生産150台のクルマであった。その数の少なさは人と違うクルマを求める層にはかなり魅力的に映る。ただ、その生産台数分は何と2日で売り切ってしまったとかで、急遽倍の300台を生産することを決めたのだが、それでも納期は2年待ちの状態。決して安いクルマではないが、そこまで人気を博したのはやはり個性豊かなスタイルと安心のメカニズム、それに人気のSUVという車種だったことがその理由と思われる。

人と違ったクルマを安心に快適に乗ろうと思ったら、間違いなく一つの大きな選択肢にミツオカのモデルは入る。



■5つ星評価
パッケージング:★★★★★
インテリア居住性:★★★★★
パワーソース:★★★★
フットワーク:★★★★
おすすめ度:★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、さらにドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来44年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。また、現在は企業やシニア向け運転講習の会社、ショーファデプト代表取締役も務める。

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