マクラーレン60周年《写真撮影  内田俊一》

マクラーレン・オートモーティブは、創立者であるブルース・マクラーレンが、「ブルース・マクラーレン・モーターレース」を立ち上げて60年を迎えたことを記念し、7月6日に「FOREVER FORWARD マクラーレン60周年記念VIP展示プレスプレビュー」を開催した。


◆ブルース・マクラーレンが生み出した
マクラーレン・テクノロジー・センター(MTC)ブランドアンバサダーのアダム・リーグス氏は、「マクラーレン・オートモーティブが設立されてからこの13年間で、実に様々なモデルが誕生した」と同社を紹介する。例えば初代の『12C』や『P1』、『スピードテール』、『エルバ』、ハイブリッドの『アルトゥーラ』、そして最新モデルとなる『750S』などで、「世界で最も革新的でラグジュリーなスーパーカーをデザイン、製造、そして販売している」という。

一方でマクラーレンの歴史は、「この13年でも、MTCが完成した20年前に始まったわけはない。それは60年前、若きエンジニアであり、若きデザイナーであり、若きイノベーターであり、若きレーシングドライバーでもあったブルース・マクラーレンという一人の人物のビジョンから始まった」と述べる。

ブルースは1937年に誕生し、ニュージーランドのオークランドで育った。幼少期に大病を患い、3年ほど入院。無事に退院したが病気の影響で数センチ片足が縮んでしまった。しかし、「彼の物覚えは大変早く、父のガレージやワークショップを手伝いながら、早くから開発者としての才能を発揮していた」。また、入院時に、「病院のベッドと廊下を行き来してレースをし、体重は速く走るためには妨げになると日記に記していたそうだ」とブルースの幼少期のエピソードを披露し、「クルマのメカニックに携わろうが、ハンドルを握ろうが、ブルースは明らかにモーターレースの人生を歩む運命にあった。その運命は彼を地球の反対側のヨーロッパへと誘い、彼のレーシングキャリアは本格的にスタートしたのだ」と語る。

◆名ドライバーであり名エンジニア
ブルース・マクラーレンのレースキャリアを見ると、1959年に史上最年少のF1チャンピオンを獲得。記録は40年以上も破られていなかったほか、1963年、26歳のブルースは、現在も彼の名を冠したレーシングチームを設立する。

このチームはその後、カンナム選手権で5勝、インディ500で3勝、ルマン24時間レースで優勝、F1で183勝、493回の表彰台、20回のタイトルを獲得。さらにインディ500の勝利、F1モナコグランプリでの勝利、ルマン24時間レースでの勝利というモータースポーツ3冠を達成した過去100年で唯一のチームでもある。

そしてリーグス氏は、マクラーレンのストーリーの中でもっとも有名で象徴的なチャプターのひとつとして1988年のF1シーズンを挙げる。マクラーレンはこの年のチャンピオンシップのために、『MP4/4』を制作。「F1史上最も成功したマシンとして語り継がれている」とこの時のマシンを評価。戦績は、「ポールポジションは16戦中15回、優勝は16戦中15回、ファステストラップは10回、1-2フィニッシュは10回と、デザイン、パワー、そしてドライバーのノウハウが見事に融合した結果だった」と当時を振り返る。この年のドライバーはアラン・プロスト、そしてアイルトン・セナだった。

セナとホンダともにデビュー戦となった1988年、「最高のパートナーであることの証明だった。セナはMP4/4で初の世界チャンピオンを獲得し、モータースポーツの歴史に名を刻んだのだ」とリーグス氏。セナの3回のドライバーズチャンピオンシップは全てマクラーレンホンダが獲得したものであり、「セナのその精神は今日もなおレーシングチームと自動車メーカーに息づいている」と話す。

このMP4/4についてリーグス氏は、「これまでに設計された中で最も先進的なF1だ。その理由は、F1ではじめて完全なカーボンファイバー製モノコックを採用したからだ」と述べ、このカーボンが同社の将来に向けて大きな変化をもたらすことにもなるのだ。このカーボンは、「マシンの強度と重量を劇的に変化させ、同時にマシンの安全性を高め、より軽く、より強く、そしてより安全に多くのドライバーの命を救うモノコックであることが証明された」。

◆ロードカーを作るという夢
そして1990年代、その技術が初めて量産車に採用。それがマクラーレンの象徴であるマクラーレン『F1』だった。リーグス氏いわく、「(レースとは別の)もうひとつの革新的なプロジェクトで、世界最速の量産車となり、その記録は14年もの間、保持された。そしてこのテクノロジーは2010年にマクラーレン・オートモーティブがスタートした際にも、マクラーレンのDNAの一部となり、ブルースの夢のひとつが完全に実現されることになるのだ」と述べる。

その夢とは何か。「1970年、ブルースは世界で最も速いロードカーを発表するというプランを持っていた。パフォーマンス、ハンドリング、そして安全性は彼のデザインの最優先事項だった。そのプロトタイプが『M6GT』なのだ」という。このM6GTは250台生産する計画だったが、残念なことにこの夢は、「1970年6月にブルースとともにこの世から去り、幻となった。しかし、その夢は40年後、マクラーレン・オートモーティブの立ち上げによって、再び蘇るのだ」とブルース・マクラーレンの夢が現在も受け継がれていることを示唆。

さらに、「価格帯に関わらず、マクラーレン・オートモーティブの全てのロードカーはフルカーボンファイバーモノセルをひとつのユニットとして搭載。『アルトゥーラ』には最新のカーボンファイバーテクノロジーを採用している」とし、「アルトゥーラはマクラーレンの真のスピリットを象徴している。これまでのインスピレーション、とりわけ創業者ブルースのビジョンを取り入れ、大胆に、そして常に前進し続けている。アルトゥーラのほぼ全てのパーツは新しく、テクノロジーとエンジニアリングの限界を押し広げながらも、まぎれもなくマクラーレンであり続けているのだ」と述べ、パフォーマンス、ハンドリング、そして安全性の全てが進化し続けていることを強調し、「若かりしニュージーランド人の夢、この夢は、現役ドライバーとチーム、全てのオーナー、従業員、そして世界中のマクラーレンファンによって今日を生き続けている。そしてこれはこれからもずっとずっと続いていく夢なのだ」と語った。

今回の展示車の一部は、7月8日(土)から7月9日(日)の11時00分から20時00分まで、東京六本木にある六本木ヒルズ大屋根プラザに展示される予定だ。

ブルース・マクラーレン《photo by Mclaren Automotive》 ブルース・マクラーレン《photo by Mclaren Automotive》 マクラーレン MP4/4《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン MP4-12のカットモデル《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン アルトゥーラ《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン60周年《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン60周年《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン60周年《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン MP4/5B《photo by Mclaren Automotive》 マクラーレン・テクノロジー・センター(MTC)ブランドアンバサダーのアダム・リーグス氏《photo by Mclaren Automotive》 マクラーレン M6GT《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン M6GT《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン M6GT《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン F1《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン MP4 12C《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン アルトゥーラ《写真撮影  内田俊一》 マクラーレン GT《写真撮影  内田俊一》