日産自動車の会見の様子。左が西川廣人社長《撮影 山田清志》

日産自動車は11月17日、横浜の本社で無資格検査問題についての記者会見を開いた。冒頭、西川廣人社長は「信頼を裏切り、改めて深くお詫びを申し上げたい」と陳謝し、山内康裕最高競争責任者(COO)とともに約5秒間、深々と頭を下げた。

無資格検査問題の原因について、西川社長は「工場の仕組みや目標が、現実とギャップのある形で長年放置されていた。問題が顕在化しなかったのは、現場と管理者層の間に距離があったため。風土として、上意下達が多い中、対策が手薄になってしまった」と説明し、人手不足が直接的な原因ではなく、悪しき習慣によるところが大きいとした。

その悪しき習慣が始まったと確認されたのは1989年だが、従業員の記憶だとその10年前からあったそうだ。1979年と言えば、石原俊社長時代で、日産は組合問題で大きく揺れていた。組合の塩路一朗会長が絶大な権力を握り、「塩路天皇」と呼ばれていた。彼の同意がなければ、人事をはじめ経営方針も決められないほどだった。

工場の運営についても、経営陣の口出しはもちろんのこと、足を踏み入れることさえ許さなかった。81年の英国工場建設の際には、反対した塩路会長が「強行したら生産ラインを止める」と石原社長に迫ったこともあった。おそらくそうしたことが遠因となり、なかなか現場との溝を埋められず、今回の事態を招いたと言っていいだろう。

しかも、完成検査員の試験では、試験問題と答案が一緒に配布されたり、教育教材を見ながらの受験、答案提出後の間違い箇所を訂正のうえ再提出していたなどという不正行為も行われていた。

「現在の日産メンバーでできることは、過去の悪しき習慣を断ち切ること、現場だけでなく全社的に再発防止に取り組むこと、完成検査だけでなくすべての業務プロセスを再点検することだ。信頼回復に向けた取り組みを最優先で進めたい」と西川社長は強調。そのために、国内5工場を統括する常務執行役員を新たに任命し、再発防止を徹底する考えを示した。

しかし、自らの経営責任については「挽回策を進めることが一番の責務だ。今回の事態収拾は私が行う。それに尽きる」と、記者からその質問が飛ぶ度に同じような言葉を繰り返した。まるで悪いのは過去の習慣であって、自分には責任がないといわんばかりで、社長辞任については否定した。また、ゴーン流の経営が要因ではなかったかという質問に対しても、それを否定した。

昨年、燃費データー不正問題が発覚した三菱自動車では、相川哲郎社長が辞任しており、西川社長の今回の対応に対して、今後批判が出てきそうだ。