恒大 恒馳3(2020年)《photo by Evergrande》

イタリアでさまざまなアプローチでデザイン開発に携わる企業や人々を紹介する本企画。第5回はマイケル・ロビンソンを取り上げる。彼はアメリカ人でありながら、44年にわたりイタリアを活動拠点としてきた。パリのアメリカ人ならぬ、トリノのアメリカ人である。

約19年におよぶフィアット在籍中に手掛けたランチア『イプシロン』(2003〜2011)は、イタリア国内市場販売ランキングにおいてモデル末期まで上位を維持し続け、通算生産台数は約54万3000台に達した。その後ベルトーネの復興に参画。2021年には自身のスタジオを立ち上げた。トリノ自動車博物館のカーデザイナー殿堂入りも果たした彼の足跡と、本人へのインタビューをここに紹介する。

■フィアットから青年時代に憧れたベルトーネへ
マイケル・ヴァーノン・ロビンソン(Michael Vernon Robinson)は1956年、ロサンゼルスに生まれた。カーデザイナーを志したきっかけは、シアトルに住んでいた16歳の年に訪れた。ある日図書館で偶然、雑誌に掲載されていた1台の車の写真に魅了された。1970年のコンセプトカー、ランチア『ストラトス・ゼロ』だった。インターネットなどない時代ゆえ、あらゆる手を尽くして同車の情報を収集した結果、イタリア・トリノのカロッツェリア・ベルトーネによる仕事であることを突き止めたという。

シアトルのワシントン大学では美術と工業デザインを専攻。後者ではフォードおよびボルボでインターンシップを経験した。

双方の学位を取得後、トリノにあったオペルのデザイン拠点で自動車業界とイタリアへの一歩を記す。続いて同じくトリノを本拠としながら実質的にフォードのデザインセンターだった「カロッツェリア・ギア」に移籍。ジュニア・デザイナーとして1984年『ヴィニャーレTSX-4コンセプト』を手掛けた。

1986年にはフィアットに移り、シニア・デザイナーとして『ブラーヴォ』、『ブラーヴァ』および『マレア』のインテリアデザイン開発責任者を務めた。

1996年に同じ旧フィアット・グループ内のランチア・デザインセンターのダイレクターに就任。量産車『リブラ』、『フェドラ』、『テージス』、2003年『イプシロン』を指揮すると同時に、1998年『ディアロゴス』、ローマ教皇専用車1999年『ジュビレオ』、2000年『ネア』を手掛けた。

2001年にはフィアットのデザインダイレクターに就任。2013年『イデア』および2014年『プント』のインテリア、商用車『ドゥカート』およびその姉妹車のエクステリア/インテリア開発を主導した。

やがて2005年にフィアットを退職。フリーランサーの傍らで、イタリアを代表する自動車誌『クアトロルオーテ』にデザイン評論の連載を執筆。人気連載となった。

そのロビンソンに新たな転機が訪れたのは2009年だった。かつてデザイナーを志すきっかけとなった、あのベルトーネにエグゼクティヴ・デザインダイレクター兼ブランド・マネジャーとして迎え入れられた。在任中は150人のチームを率いて、ジュネーブモーターショーを舞台にアルファロメオ『パンデオン』、『ヌッチオ』などのコンセプトカーを発表。同時に、中国第一汽車(FAW)や北京汽車(BAIC)の量産車も手掛けた。自動車以外にも、トレニタリア社の高速鉄道『フレッチャロッサ1000』、電動VTOLのアグスタウェストランド『プロジェクト・ゼロ』のデザイン開発に参画。後者は2011年、初飛行に成功している。

2014年から2018年にはイタリアの「EDデザイン」に移籍。中国向け量産車およびコンセプトカーに携わる。2015年ジュネーブモーターショーでは、ウィンドウをもたないレーシングマシーンのコンセプト『EDトルク』を公開した。

■バイオデザインと人間工学的デザイン
近年の活動を記せば、中国で恒大汽車による2020年のSUV型EV『恒馳3(ヘンチー3)』のデザインを指揮した。恒大は名称から想像できるとおり、不動産大手・恒大(エバーグランデ)グループの電気自動車製造部門である。恒馳3についてロビンソンは、まず前部のデザインを説明している。

「伝統的なフロントグリルの代わりに、パラメトリックなテクスチャーのデザインを与えました。高級な絹の感触を想起させる視覚的効果を生みだしています。シックなエアインテークは“エアカーテン”と名付けました」

ボディに関しては「22インチ・ホイールの存在感をボディよりも際立たせ、非常にスポーティーなムードを高めました。彫刻的な流れはリフレクションを醸しだして流動感を演出します」と解説。同時にボディから分離されたような視覚的効果を与えるフローティング・ルーフ」は、ユーザーがルーフをカラーカスタマイズできる可能性を示していると解説。そして全体的に「セクシーとソリッドの完璧なブレンド」と結んでいる。

最新の話題としては2021年8月、40年以上拠点としてきたイタリア・トリノに、自身のスタジオ「ロビンソンデザイン」を設立した。ユニークでパワフル、かつ公道走行可能なワンオフモデルを求める顧客へのサービスが目標だ。

今回の記事執筆にあたり、ロビンソンに質問を試みたところ、即座に文書で熱心な回答を得ることができた。以下はその内容である。

彼は職業人生のほとんどをイタリアで過ごし、業績を残してきた。アメリカ人として大切にしていることは何か? その問いに対してロビンソンは「私は今まで23年間をアメリカで、43年間をイタリアで過ごしました。したがって、私の考え方は明らかにイタリアおよびイタリア文化に傾倒しています」と答える。

だが同時に、若き日を以下のように振り返っている。「大学時代はNCAA(男子バスケットボール・トーナメント)選手としてプレイしたことで、強い競争心とともに、チームのモティベーション、人材育成そして目標設定など、多くのリーダーシップ・スキルをコート上で学ぶことができました」。

ところで、ロビンソンはフィアット時代からバイオデザインを探求した。いっぽう現在、世の中には人間工学的デザインと呼ばれるものが溢れている。人間のための真のデザインとは何なのか?

それに対してロビンソンは「バイオデザインと人間工学的デザインは、近似しながらまったく異なる目的を持っています」と前置きしたうえで、まず前者を説明する。

「バイオデザインは、地球上で最も大きな参考文献である自然を観察することで学べます。サメがもつ高度な流体力学のように、自然界の形を模倣できるのです。生物学的に効率的な形態を、私たちが路上で目にする巨大な箱と比較すれば、どこに改善の余地があるか一目瞭然です。また、森で倒木が朽ちて生物の住み処になるように、自然の持続可能性からも模倣できます。自然界は、すべての原子がリサイクルされる完璧な循環型生態系なのです。人類は世紀を超えて環境を破壊してきました。今こそデザイナーはバイオデザインによって自然に近づくべきです。循環型のデザインで地球を浄化するとともに、自然界の5百万年の進化を研究し、我々のかたちを浄化するのです」

「いっぽう、人間工学的デザインとは、デザインする製品・サービス・プロセスを人間が使えるようにすることです。人は乳児から青年、成人、高齢者まで、さまざまな容姿をしています。ひとつの寸法で全員に適合させることは容易ではありません。そうしたなか人間工学は、製品を使用できる人の割合を増やすために役立っているのです。人間工学的デザインの新たな魅力としては、認知効率つまりエクスペリエンシャル・デザインが含まれています。デジタル時代にユーザー・インターフェースは物理的側面と同様に重要です。デバイス設計や試験方法によって、使いやすくも使いにくくもなり得ます。ここでも人間工学の出番となります」

そのうえでロビンソンは、バイオデザインと人間工学的デザインを融合する重要性を説いている。

「バイオデザインによって、外見も自然かつ製造工程ではゼロ・エミッションを実現し、使用後は簡単にリサイクル可能性を達成します。同時に、たとえば携帯機器で、人間の手の大きさや形状を解剖学的に分析し、直感的に操作できるユーザー・インターフェース=人間工学的デザインを提供する。つまり両者を合わせることにより、複数の目的を同時に達成できるのです」

■明日のデザイナーに送る言葉
ロビンソンは中国企業のデザイン開発に約11年間にわたり参画してきた。

「中国の企業文化で興味深いのは、厳格な垂直型、いわば軍隊式命令系統であることです。これは組織内でのノイズの少なさを保証しますが、枠にとらわれない考えが許されないため、創造性の低下にもつながっています。また、中国の労働倫理が欧米と大きく異なることは周知の通りです。ヨーロッパ人がなぜ休日に熱心なのか、彼らには理解できないようです」

そう分析する傍らで、ロビンソンは、こうも語る。

「中国の人々と密接に仕事をしながら、彼らが過去数年で信じられぬ進化を遂げたのを見てきました。中国のデザイナーはきわめて優秀で、その数は増え続けています。彼らの国は急速に変化しているので、こうであるというレッテルを貼るのは困難です。それでも言えるのは、非常にパワフルであり、無限の資金、人材そして物資を有しているため、どのようなプロジェクトや問題に対しても恐るべき力を発揮し、より速く物事を達成するということです」

中国でロビンソンは、数々のEV計画にも参画してきた。彼の目から見る中国と欧州のEVは?

「2008年、彼らはEVで世界的リーダーになることを宣言しました。実際、すでに世界で販売されているEVの3台に2台は中国製で、その勢力は加速しています。欧州はEV技術の不足から、航続への期待値が低いのが実情です。テスラよりはるかに低い数値を『許容範囲』と宣言し、さらに実際はその半分しか走行できないことがあります。ヨーロッパの自動車会社は優れたブランド力を有しますが、EV性能で中国に負け続けています。中国が欧州で本格的にEVを販売するようになれば、1世紀以上の歴史を持つ欧州ブランドは自国市場から追い出される危険があります」

デザイン会社に関していえば、依然中国に活路を見出そうとする外国企業は数多い。「中国は独立系デザイン会社にとって最大の市場です。なぜなら他のすべての主要生産国(米国、欧州、日本、韓国など)は、もはやデザインサービスを外注せず、自社設計を好んでいるからです」。

ロビンソンによれば、中国ブランドが欧州メーカーと同様の自社設計体制へ移行するのに、あと何年要するかは不明だ。だが直近では中国政府による新型コロナウィルス感染対策の渡航規制が、さらに中国のデザイン会社に有利に働いたと証言する。
「国内に本社があるデザイン会社は、外国に本社があるデザイン会社よりもクライアントに会いに行きやすい。そのためビジネスを拡張できたのです」

最後にロビンソンは、後進デザイナーを育成するため実践してきたことを明かしてくれた。

「私が力を入れてきたのは、デザイナーを心地よい場所から追い出すことです。彼らには常に「車以外の分野も含めて世界のあらゆる場所から、私の知らないものを探してきなさい」と命じてきました。 形状、技術、科学、ソフトウエア、自然など常に次世代を模索し、知識にハングリーであることが重要なのです。未来に目を向け、最新の発見にいち早く触れることで、それが主流になる前に実験する時間を得ることが必要なのです」

そして、ロビンソンはこう結んでいる。

「私は常に部下に対して『ボス、つまり私のことをよく観察しなさい』と言ってきました。いつか彼らも上司になるときが来る。その時、ボスの何を評価し、何を評価しなかったかを思い出してほしいのです。こうしたタレント・ファームのおかげで、かつての部下たちが今、世界の重要な自動車会社のデザインディレクターとして活躍していることは、私にとってこの上ない誇りです」

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