ホンダの三部敏宏次期社長(左)と八郷隆弘社長《写真提供 ホンダ》

ホンダは2月19日、八郷隆弘社長と次期社長の三部敏宏専務による社長交代会見を行った。その様相は6年前の社長会見、伊東孝紳社長から八郷常務(当時)へのバトンタッチとは大きく異なっていた。

6年前の時は突然の社長交代ということで、一連の品質問題によって“引責辞任”に追い込まれたのかなどさまざまな憶測が飛び交った。会見に臨んだ伊東社長にうっすらと涙を浮かべる場面があった。それに対して、今回の社長交代はある程度予想されたことであり、会見に臨んだ八郷社長は吹っ切れた様子だった。

「できることは全部やって、いまやり残したことがあるとは感じていない。特に昨年の4月、研究所を新しい体制に変え、四輪の商品開発体制も変えたことで、私が考えていた体制ができあがった。早く電動化の加速をしていくということでバトンタッチをすべきだと考えた」と八郷社長は話す。

八郷社長の6年間は、文字通り構造改革に明け暮れたと言っていいだろう。四輪事業で「世界販売600万台」を目指した伊東前社長の拡大路線の修正に追われ、狭山工場や英国工場の閉鎖を決断して余剰生産能力を削減。自動車レースのF1からの撤退も決断した。

「三部は私よりもバイタリティがあり、行動力もある。それと環境対応とエネルギーのエキスパートでもあるので、しっかりと成果の花を咲かせてくれると思う」と八郷社長は成果の刈り取りを三部次期社長に任せることにした。

その三部次期社長は「ホンダ全体で大きな転換とスピードが求められるいま、目的を早期に実現するためには、外部の知見を活用し、アライアンスの検討も踏まえて躊躇なく決断していく」と語り、「私は安定した時代よりも激動の時代に向いている。プレッシャーにはかなり強いほうで、ワクワクしている」と付け加えた。

1987年に広島大学大学院を修了後、ホンダに入社。主流のエンジン開発部門などを歩み、2014年に執行役員に就任。その後、18年に常務執行役員と本田技術研究所副社長、19年に本田技術研究所社長、20年ホンダの専務執行役員、同年6月に専務取締役に。

GMとの戦略的提携では中心的な役割を果たし、北米市場においてEVを共同開発してGM工場で生産する取り組みや、ホンダからGM向けにエンジンを供給するなど基幹部品の共通化を決めた。その際、GMとの交渉の慎重派に対して「生き延びるための代案があるなら言ってみろ」と迫ったそうだ。

ただ、今回のトップ人事で社内外の人が気になっているのが、倉石誠司副社長の留任だ。ホンダは創業者の本田宗一郎社長と藤沢武夫副社長が1973年に同時に経営から退いて以来、トップとナンバー2らが一緒に退任して、経営層を一新することが多い。それが今回は違うのだ。

「いっぺんに代表取締役が替わるというよりも、少し継続的にやったほうがいいのではないかということで、倉石には留任してもらうことになった」と八郷社長。一方、三部次期社長は倉石副社長とは「課題認識はまったく共通で、取り組んでいる方向も合っている。ともに成長を加速していける」と述べる。ただ、業界関係者の間では、八郷社長が1歳上の“実力者”である倉石副社長の首に鈴をつけられなかったといった穿った見方もある。

いずれにしても、三部次期社長は電動化が一気に加速する中で、どのようなどのような舵取りをしていくのか注目されていくわけだが、四輪の収益改善にも引き続き取り組んでいく必要がある。なにしろ四輪事業の営業利益率は2020年度第3四半期(10〜12月)、よくなったとは言え4.6%と、二輪事業の14.8%に比べて圧倒的に低い。おまけに、国内では軽自動車の割合が50%を超え、「軽自動車メーカーに成り下がってしまった」などと言われる有様だ。

「これまで研究所の社長として仕込んできたものを、今度はホンダの社長として魅力ある“もの”や“こと”として形にしていく。それが期待されていることだと思うし、その実現のために、お客さまからワクワクしていただける商品・サービスの提供に向けチャレンジしていく」と三部次期社長は強調していた。

ホンダの八郷隆弘社長《写真提供 ホンダ》 ホンダの三部敏宏次期社長《写真提供 ホンダ》