熱気球が飛ぶのは上昇気流の弱い早朝と夕方。日の出前から会場はヒートアップしている。《写真撮影 井元康一郎》

栃木、群馬、埼玉、茨城の4県の県境が複雑に入り組む渡良瀬遊水地で12月11日午前6時40分、ホンダが冠スポンサーを務める熱気球レースのシリーズ戦、熱気球ホンダグランプリ2020の締めくくりとなる「渡良瀬バルーンレース」が開幕。14日まで熱戦が繰り広げられる。

このレースの位置づけは第1戦。本来は桜の季節に開催されるはずであったのだが、新型コロナウィルスによる感染症の流行で開催できなくなり、12月に延期して様子をみることにしていたもの。10月に今シーズン初開催にこぎつけた第3戦「一関・平泉バルーンフェスティバル」に続く2度目のレース。「1回でも開催できれば御の字だと思っていましたが、1回で終わらず2回できたことはグランプリとしても本当によかった」と、関係者のひとりは喜びを露わにした。

◆空中での熱戦を「観光フライト気球」から眺める


11日の早朝、渡良瀬遊水地は放射冷却の影響で氷点下にまで冷え込み、草地やテントなどの結露がカチカチに凍り、低高度に淡いミストが出るという状況。霧が深ければ飛べないが、上空からは朝霧は空からのビューがことさら美しく、また地上からの見物も気球のシルエットが幽玄な雰囲気を醸し出すのを楽しむことができる。

11日午前の競技は3つのタスクの複合。1番目は大会本部が決めたターゲットに向かい、なるべく近いところにマーカーを落とすジャッジ・デクレアド・ゴール(JDG)。2番目はJDGをこなした後にパイロット自身が制限空域内に指定した目標にマーカーを落とすフライ・オン(FON)。3番目は制限時間内に3つのマーカーを落とし、それが描く三角形の面積の大きさを競うランド・ラン(LRN)。


その競技の様子を先に離陸した観光フライト気球から眺めた。この観光フライトは今回の大会に合わせてジャパンバルーンサービスという会社が初トライしたもので、日本では体験搭乗などを除く商用熱気球観光フライト第1号。ジャパンバルーンサービスの町田耕造代表は「熱気球をサスティナブルなものにするにはマネタイズが不可欠。そのカギを握るのはやはり観光です。遊覧飛行、結婚式などのメモリアル飛行など、いろいろなサービスにトライしていきたい」と夢を語った。

地平線から太陽が顔を出したばかりというタイミングで競技気球より先に離陸。上空から一斉離陸を眺めるのは壮観だった。そして、いつにも増して美しかったのは渡良瀬にたなびく薄霧が日の出の朱色に染められる光景。期待どおりだ。熱気球は浮力を得るためにバーナーを焚く時以外は基本的に無音である。上昇するにつれて地上の物音がだんだん遠くになり、上空300mくらいに達すると、拡声器から流れるアナウンスの声や、時折響いてくる緊急車両の音くらいになっていく。筆者は過去、熱気球で高度約2kmに達したことがあるが、そこまで上がるともはや沈黙の世界だ。


熱気球の選手たちは空中で激烈なバトルを展開しているのだが、一方で彼らは飛ぶことを楽しんでいる。上空で写真や動画を撮るのは普通のことで、配信をやっている選手もいる。かつて栃木で年1回世界選手権が開催されていた時代があったが、それを戦うために来日した世界ランカーの強豪バルーニストたちも「栃木を飛ぶのは本当に好きだ。何しろ一面、オータムフォールズ(秋景色)だからね」などと、満面の笑みで答えたりしていた。

操縦を務めた学生バルーニストの山下太一朗氏は「同じような場所を同じ時間に飛んでも、同じ景色は二度と見られません。この景色もまさに、今だけのもの」と語る。商用フリーフライトが始まったことで、そんな空からの光景をライブで見る機会も次第に増えていくことだろう。

◆コロナ禍でも「続けていきたい」


そんな渡良瀬バルーンレース、会場は例年の春のさくら祭りのような賑わいはもちろんない。会場は出入口を1か所に絞り、入場者全員に検温が行われるというものものしさだ。出場チームや大会ボランティアたちも、2週間の健康チェックに加え、大会期間中は夜の懇親会なども全自粛であるという。

大会の責任者でもある前出の町田氏は「コロナを恐れてすべてをやめるのは簡単ですが、私たちはそうはしたくない。やりたいことをやるためにはどうしたらいいかという発想で、できる限りの対策を打ってイベントを行っていきたい。スポンサーを続けてくださっているホンダさん、開催を前向きに考えてくださっている自治体や住民の方々など、ステークホルダーの皆さんの理解あればこそ、イベントが開催できる。どういう運営を行えばコロナ禍の中でこういうことをやっていけるかという実践例を積み重ねて、ノウハウを世の中に還元していければ幸いと思っています」と、思いを語る。

大会での熱気球フライトは13日(日)までが午前と午後。ラストフライトは最終日の14日(月)。渡良瀬の空域に熱気球が舞うのを、密にならず、ぜひのんびりと観戦に行ってみていただきたい。

熱気球に熱気を孕ませる。まずは気球を立てるところから。《写真撮影 井元康一郎》 ホンダのオフィシャルバルーン、ASIMO号。これは第2世代で、老朽化した初代は展示用に使われる。《写真撮影 井元康一郎》 日本初の観光フライトへのトライ。普段のものより大型のバスケットを吊っており、居住性向上が図られている。《写真撮影 井元康一郎》 日の出とほぼ同時にリフトオフ。《写真撮影 井元康一郎》 観光気球のリフトオフ直後に競技気球への離陸許可が出た。一斉にインフレート(展張)を開始している。《写真撮影 井元康一郎》 高度を少し上げたところ。思った通り素晴らしい朝霧のたなびきだった。《写真撮影 井元康一郎》 先に飛ぶか後に飛ぶかも駆け引きの重要な要素。この日は慎重に判断するチームが多く、なかなか飛び立たなかった。《写真撮影 井元康一郎》 東京スカイツリーより少し低いの高度に達した。《写真撮影 井元康一郎》 最初に離陸したのは世界選手権での優勝経験がある藤田雄大選手。早めの仕掛けが多い。《写真撮影 井元康一郎》 競技気球を間近から見る。《写真撮影 井元康一郎》 第1のタスク、ジャッジデクレアドゴールに向かう気球たち。《写真撮影 井元康一郎》 かなり時間が経過してからようやく全機が上昇してきた。《写真撮影 井元康一郎》 ハート型の渡良瀬遊水地を背景に飛ぶホンダ・アシモ号。《写真撮影 井元康一郎》 栃木市のオフィシャルバルーンも飛んだ。名産のいちごをあしらったデザイン。《写真撮影 井元康一郎》 朝の冷え込みで草むらがうっすら白く凍った渡良瀬遊水地の湿地帯。冬に渡良瀬を飛ぶのはそれだけでプレミアムだった。《写真撮影 井元康一郎》 観光気球には記念写真を撮るためのスチールカメラと動画撮影のGoProが装備されていた。《写真撮影 井元康一郎》 小一時間を経てランディング寸前。競技気球の戦いはまだまだ続いている。《写真撮影 井元康一郎》 気球に備え付けたカメラで記念撮影。《写真撮影 井元康一郎》 熱気球の“自撮り”機能は海外の熱気球観光フライトでは当たり前のように行われているとのこと。日本での今後の展開が楽しみである。《写真撮影 井元康一郎》 左からメルボルンで観光気球のパイロットに従事している石原三四郎氏、11日の観光フライトで見事な着陸を見せた山下太一朗氏、熱気球運営機構の町田耕造会長。《写真撮影 井元康一郎》