スバル・レオーネ・スイングバック1600SRX《嶽宮三郎》

遅ればせながら20代後半で運転免許を取り、さあ何に乗るか! と探したのは、スバル『レオーネ』エステートバン4WDだった。趣味がアウトドアということで、どんなところへも行ける車が欲しかったからだ。

それに、富士重工(当時。現SUBARU)にはある種の憧憬があった。子供のころに見た広告だ。スバル『1300G』がラフロードを走り、そのすぐ上空を同社製の軽飛行機『エアロスバル』(FA-200)が並行して飛ぶ。それがテレビのCMか車雑誌の広告か今となっては不確かだけど、土煙を上げて疾走する武骨な車に興味を持ったのだった。

それから幾年月(いくとせ)の車探し。同じくスバル好きの同級生にアドバイスをもらいながら中古車屋めぐりを始めた。件(くだん)のバンは幾つかあった。そして決めようとした店にたたずんでいたのが、派手なオレンジ色の「レオーネ・スイングバック1600SRX」だった。

自分が望んでいたのは武骨な格好をした初代のバン。かたやスイングバックは2代目でスタイリッシュな3ドア。カテゴリーがえらく異なる車だが、後者はハッチバックだから荷物を積めるし車中泊もできる、そして何といってもスポーツモデルということに一気にひかれて判を押した。1982年式で、確か28万円だったと思う。

それからというもの、結婚したばかりの妻や友達と一緒に各地へ出かけた。4WDではないけど、その当時まだ多く残っていたガタガタの林道や雪道もガンガン走ってくれた。何より、エンジンが気持ちよかった。水平対向4気筒ユニットはOHVだったが、ゼニス・ストロンバーグ製のキャブレターを2連装して最高出力100psを絞り出し、870kgの車重と相まって軽快に走った。5速クロスミッションや4輪ディスクブレーキも頼もしかった。アンダーがいっぱい出たけど、それが当たり前だと思ってた。

全長が4mを切るおかげでフェリー代も格安だから、遠征ドライブにもよく出かけた。ルーフに自転車を積んでヒルクライムなども楽しんだ。釣りに行ったし、登山もした。いろんな世界が広がった。4WDにも負けなかった、と思う。

そして……。ここから幸か不幸か、現在に至るまで私はレオーネに乗っている。時に変人扱いされる。レオーネ5台目である。スイングバックの後からの車歴は以下の通りだ。2代目ハードトップ4WD・RX〜3代目セダンRX-II〜3代目マイアFF〜3代目マイア4WD。この間日産『シルビア』(S13)等に乗ってFRをちょっとだけ楽しんだことはあったものの、また帰ってきてしまっている。

レオーネはOHVからOHCになり、ターボが付いて、フルタイムの四駆にもなった。でもそれはいつも他銘柄に遅れた。スバルが挽回するのは『レガシィ』登場まで待つことになる。武骨なスバルは「SUBARU」と社名を変え、一定のブランドにもなった。でも「レガシィ」が”伝承”というならば、それまで屋台骨を支えてきたレオーネをこそ忘れてはならないと思っている。

今思えば、あのSRXは本当に面白かった。1300Gならぬ、1600Gだと思っている。今乗っている92年式マイアも、実はOHVのままで車重も軽くシンプル、軽快なボクサー音が心地よい。SRXや1300G、ひいては1000の系譜が最後に残ったスバルだと思って乗っている。

現在「スバル・レオーネ・オーナーズ クラブ」に入っているが、同好の士がこれほどいるのかと思うほどの会員数である。20歳代も結構いて頼もしい。でもSRXはその後見たことがない。どこかにあればまた乗りたい。そんな車なのだ。

スバル・レオーネ・スイングバック1600SRX《嶽宮三郎》