ホンダ:MRI用の運転シミュレーター《写真撮影 池原照雄》

ホンダは2021年4月に就任した三部敏宏社長が、2050年にホンダ車が関わる交通事故での死亡者をゼロにするという安全目標を掲げた。ホンダ車には二輪も含むのでハードルは高い。未知の領域でのアプローチを含めた挑戦の現場を2回にわたってリポートする。

◆寝そべって運転する独自のシミュレーターを開発

被験者は仰向けに寝そべってハンドルを握り、MRI(磁器共鳴画像法)装置の中に頭部を置いてシミュレーターによる運転を始めた。足元にはアクセルとブレーキのペダルもある。ホンダが2018年に、千葉市にある量子科学技術研究開発機構(QST)などと共同で始めた運転時における脳の活動を研究するシーンだ。

ホンダが開発したこのシミュレーターには都内の事故多発地点などを再現した交通映像が組み込まれている。ドライバー役の被験者は頭部に装着したミラーで映像を見ながら、車線変更や交差点での信号待ち、右折などほぼ無数に設定できる運転シーンを走り抜けて行く。

短い休憩をはさみながら計測はワンセットで約40分行われる。被験者には、ホンダのテストドライバーや一般の人など幅広い運転技量の人が参加している。被験者以外ではホンダのスタッフやMRI技師ら3人が計測に従事し、MRIから刻々と得られる脳の活動のほか、視線の動き、アクセルやブレーキ操作などのデータを収集する。

◆AIが事故リスク回避へ誘導してくれるクルマ

恐らく世界の自動車メーカーでも前例のないMRIと運転シミュレーターを組み合わせた脳科学の活用から、ホンダが目指す安全の世界とはどのようなものか? この研究開発を担当する本田技術研究所チーフエンジニアの樋口実氏は「リスクが高いドライバーがリスクのある操作をした場合、それをAI(人工知能)がリスクの少なくなるように誘導して教えてくれるといったクルマを想定して開発を進めている」と目標を示す。

そこに至るプロセスを樋口氏の解説で紐解くと、おおむね次のようなステップとなる。

●MRIによる計測を基に、事故リスクが最小だったドライバー群の運転中の脳の活動から、リスク回避のためにどのような情報処理をしているかを解析して安全な運転につながる「規範運転モデル」をつくる。
●AI(人工知能)に規範運転モデルをラーニングさせ、ドライバーが事故リスクの高い運転をした場合、リスク回避へ誘導できるようにする。
●AIの誘導では、運転中のドライバーがどこに注意しているかなどをドライバーモニターカメラなどでクルマ側が理解し、注意喚起が必要な時などには音声やシートの振動などによるHMI(ヒューマン・マシン・インターフェイス=人と機械の接点)でドライバーに伝える技術を確立する。

◆「あなたのためのホンダセンシング」を実現

これらの研究開発は、近い将来のクルマへの実装を目指し、同時並行で進められている。ホンダの安全企画部長として、この分野の研究を統括する高石秀明氏(本田技術研究所エグゼクティブチーフエンジニア。高ははしご高)は、一連の研究によって、ホンダの安全運転支援システムである「ホンダセンシング」はやがて、「一人ひとりに合わせたセッティングという領域に踏み込めるので、『あなたのためのホンダセンシング』が実現できる時代になる」と指摘する。

個々のドライバーの安全運転の力量をAIが判断し、適切なHMIでリスク回避などに誘導するといったオーダーメイド仕様が可能になるというわけだ。ホンダはHMIの開発などを支援するツールとして2019年には「能力拡張型シミュレーター」も製作し、運転行動の分析などに活用している。「能力拡張」は近年、内外で広く注目されるようになった研究分野であり、一般的にはテクノロジーによって人間の能力を高めることを示す。

高石氏は「新たなステージとして人本来の力を活かすという領域まで踏み込んでやっていく。人としての成長プロセスを歩んでいくことで、『もっと行動したくなる』という領域に結び付けるようにしたい」と話す。安全と安心の実現をクルマやバイクに助けてもらうとしても、人間が本来的に希求する「自由な移動の喜び」は決して手放さないという想いだ。

ホンダ:MRIで脳の活動を解析(千葉市のQST施設)《写真撮影 池原照雄》 ホンダ:MRIによる運転状況の計測作業《写真撮影 池原照雄》 ホンダの安全企画部 高石秀明部長(高ははしご高)《写真撮影 池原照雄》 ホンダの能力拡張型シミュレーター《写真提供 ホンダ》