中村史郎氏はいすゞのデザイン部長だった1999年、日産デザインのトップに電撃移籍。2017年3月、日産の専務執行役員を退任した。《写真撮影 中野英幸》

1999年秋から日産デザインを率い、2017年3月末に退職した中村史郎。その後の活動が、ようやく明らかになった。悠々自適どころか、日米中を股にかけて新たなデザインビジネスを展開しているというのだ。

◆代官山に新スタジオ


「自分の作品を残そうとは思っていない。将来のリーダーになるデザイナーを育てるのが、ここのひとつの狙いだ」

「ここ」というのは、東京・代官山の「SNデザインプラットフォーム=略称SNDP」のこと。今年1月に稼働開始した中村の新たな活動拠点だが、「普通のデザイン会社とは違う」という。表札にも彼の名刺にも「A creative collaboration space」の文字。「企業のデザイナーと協業して革新的なデザインを生み出す。そういうイノベーションの場所にしていく」

古いビルを改装したというそこには、ミーティングなどに使う共用スペースに加え、デザイン用のデジタル機材を揃えたスタジオが2部屋ある。このスタジオをパートナー企業(中村はあえてクライアントと呼ばない)に提供しようというのだ。


中村以外のスタッフは、企業で部長クラスの経験のあるデザインダイレクターが3人、ゼネラルマネージャーが1名、そしてコンピューターでバーチャルな立体モデルを作成するデジタルモデラーが1名という陣容だ。いずれもカーデザイン業界では名の知れたベテランたちである。

パートナー企業は「自動車業界に限らず、幅広く」と中村。その若手〜中堅デザイナーがここにプロジェクトを持ち込めば、中村を中心としてダイレクターが進捗をしっかりサポートする。アイデアスケッチを3Dデータ化するプロセスはデジタルモデラーが支援。クレイモデルやモックアップを作る必要があれば、中村のネットワークにある専門企業を活用する。さらに、デザイン会社を経営するフリーランス・デザイナーとの協業も、中村は模索したいという。

ちなみに社名の「SN」は名前のイニシャルだが、「デザインスタジオ」ではなく「デザインプラットフォーム」としたところに、次世代を担うデザイナーが羽ばたくための土台=プラットフォームでありたいという思いが込められている。それは中村自身の経験に基づくものだ。



◆裁量権を持ってこそ成功体験を得られる

日産に転職するまでいすゞのデザイナーだった中村は、80年代末に欧州に赴任した。目的はデザイン拠点を設立すること。つまりデザインの組織も設備もない状態からのスタートだった。そこで、当時のいすゞと同じくGMグループだったロータスのデザイナーを起用し、『4200R』というスーパースポーツのコンセプトカーを開発。1989年の東京モーターショーで披露し、海外からも高く評価された。

さらに中村は欧州拠点で91年の『コモ』、93年の『ヴィークロス』(後の量産型は『ビークロス』)と、野心的なコンセプトカーを次々と手掛けた。まだ課長級でありながら、コンセプトカーの企画と開発を主導したのだ。



「欧州拠点にいた4年間、自由にやらせてもらえたのは、当時まだ日本企業のデザイン組織が成熟していなかったから。我々の世代にも大きな裁量権が与えられていた。でも今は違う。組織とプロセスがしっかり出来上がっているので、デザイナーが自由に動ける隙間がない」と中村。彼自身、日産デザインのトップとして効率的な組織運営するなかで、「クリエイティブなものを生み出すのに必要な隙間をなくしてしまった反省がある」。だからこそ…。

「SNDPに来てプロジェクトをやろうというデザイナーには、会社が裁量権を与えてほしい。途中は任せて、結果だけ評価してくれればよい。自分の全責任でアウトプットできれば達成感を得られるし、その評価が良ければ成功体験になって、将来のリーダーとして成長していく自信につながる。それをサポートしたい」

◆ハリウッドでも協業と人材育成


中村はもうひとつ、米国ロサンゼルスの「ハリウッドヒルズ・クリエイティブ・プラットフォーム=略称HHCP」という会社の社長を務めている。こちらも「プラットフォーム」なのは、SNDPと同じように協業や人材育成を重視しているからだ。

HHCPは2019年1月に活動を始めた。代官山のSNDPと体制面で大きく違うのは、SNDPにはデザインダイレクターはいるがデザイナーはいないのに対して、HHCPでは若手〜中堅の契約デザイナーが8名ほどいることだ。だから幅広くアイデアを展開することができる。

これはすなわち、SNDPが受託したプロジェクトでアイデア展開が必要なら、HHCPのデザイナーを活用できるということ。HHCPとSNDPは中村のリーダーシップの下でうまく補完関係にあるわけだ。

HHCPの社屋は中村の知人の事業家が自宅にしていた3階建ての瀟洒なマンションだ。パートナー企業を受け入れるスタジオは4部屋ある。現在は新型コロナ禍で休止中だが、もちろん「状況が改善され次第、再開する」。

社屋は崖の上に建ち、ベランダからハリウッドの街を見下ろせるとか。「環境が持つパワーを大切にしたい。それはリモートワークの時代になっても同じだ」と中村。SNDPのある代官山はトレンド発信地であると共に、首都圏のクルマ好きにはお馴染みのT-SITEがある街でもある。スタジオの設置場所にこだわるその姿勢は、彼が日産時代にロンドンの中心地に欧州デザイン拠点を作ったときとまったく変わりない。



◆アートセンターのインターンシップ

HHCPで力を入れているのが学生のインターンシップだ。地元の名門校アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの学生が3か月間、HHCPの契約デザイナーと共にパートナー企業から委託されたプロジェクトに取り組む。アートセンターの1学期は3か月。学校を1学期休んでインターンに来るわけだが、それが単位として認められる。

日本のインターンシップは実質的には採用活動の一環として行われるのが一般的だ。自動車メーカーのデザイン部門の場合、1〜2週間の期間で志望学生を集めて課題を出し、デザイン提案させる。

しかしHHCPでは、学生といえども、インターンに来るからにはプロとして扱う。HHCPには二人のデザインマネージャーがおり、実は彼らはアートセンターの非常勤教授でもあるのだが、「インターン学生の先生役を務めるわけではない」とのこと。パートナー企業から受託したリアルなプロジェクトに対して、「HHCPの契約デザイナーと学生を対等な立場で競い合わせている」。


インターンの希望者は多いが、優秀な学生だけ2〜3人を受け入れているという。「なにしろ3か月間、集中して朝から晩までアイデアを考え、スケッチを描き続けるので、インターンに来た学生は飛躍的に成長する。実力はプロと比べても遜色ない。学生のスケッチを選択して、それを原寸大モデルに発展させたケースもある。学生のうちにクルマの原寸大モデルを手がけるというのは、米国のインターンシップでもなかなかできない経験だ」と、中村は手応えを語る。

「代官山のSNDPでもインターンを受け入れたい」と中村。日本では3か月も学校を休めないので、「夏休みの4週間など、短期のインターンシップを考えたい」とのことだ。実現したら、日本のデザイン学生のレベルアップに必ず寄与するはず。期待したい。

◆中国IATとのフレキシブルな協業

HHCPを設立するにあたって、中村は中国のIATという自動車エンジニアリング会社と協業することを選んだ。

IATは三菱自動車のエンジニアだった宣奇武(セン・キウ)が01年に愛知県岡崎で創業。バブル崩壊で三菱を辞めるエンジニアやデザイナーを組織化し、そのノウハウを中国メーカーに提供するビジネスを始め、翌02年に本社を北京に移した。中国の自動車産業の発展を支え、それと共に急成長してきた会社だ。

そんなIATの宣会長が日産を退職した中村に、アドバイザーになってくれるよう持ちかけた。中国と日本の架け橋になるというのが、IATの創業の精神。これまでも日本企業との協業を実現してきたので、宣会長が中村にコンタクトしたのは当然の成り行きだったに違いない。

それに対して中村が構想を提示し、宣会長が快諾してHHCPが生まれた。IATは中国に多くのクライアント企業を持つので、HHCPが携わるプロジェクトにはIATのクライアントから持ち込まれるものが少なくないという。

「IATはとてもフレキシブルなパートナーだ。私自身が海外企業から受託したプロジェクトで、原寸大モデルの制作をIATに発注したケースもある。お互いにWINWINになれる関係を、きわめてスムーズに構築している」と中村。IAT がHHCPの大株主とはいえ、それによる制約はまったくないようだ。

◆2年後には量産車がデビュー


中村はSNDPを2020年1月に設立した。代官山に新しいスタジオを構えるまでの1年間は、神奈川県・鵠沼海岸のマンションが国内の活動拠点だった。今後は代官山と鵠沼、さらに太平洋を隔てたハリウッドという3拠点を活用したデザイン協業もパートナー企業に提案したい考えだ。

これまですでに鵠沼海岸とハリウッドで、中村は多くのプロジェクトをこなしてきた。そのなかから2年後には、量産モデルが生まれるという。

「ドイツの複数のエンジニアリング会社と一緒に、量産車の開発を進めている。HHCPで初期のアイデア展開を行い、量産化に向けたデザイン開発はIATのデザイン部門が行いながら、SNDPの経験豊かなダイレクターがそれをマネージするという体制だ。順調に行けば、2年後くらいから3〜4車種が世に出るだろう」と中村は明かしてくれた。「でも、私の名前は公表しません。自分の作品を創りたいわけではないから」と、あくまで黒子に徹する方針である。

「量産プロジェクトの仕事でSNDPとHHCPのビジネスを成り立たせながら、同時に将来のデザインリーダーを育てる。その両輪がうまく回るようにしていきたい」。70歳になった中村の挑戦は、まだまだ続いていくようだ。

中村史郎氏《写真撮影 中野英幸》 「ハリウッドヒルズ・クリエイティブ・プラットフォーム=HHCP」が自主プロジェクトとして行ったハイパースポーツEVの提案スケッチ。スポーツカーとバイクをセットでデザインしている。《写真提供 SNデザインプラットフォーム》 同じ自主プロジェクトの別案。こちらはスケッチではなく、3Dデータ(デジタルモデル)をレンダリングしたもの。《写真提供 SNデザインプラットフォーム》 「SNデザインプラットフォーム=SNDP」のデザインスタジオ。スケッチや3Dデータを作成するためのデジタル機材が並ぶ。《写真撮影 中野英幸》 「SNデザインプラットフォーム=SNDP」のデザインスタジオ。スケッチや3Dデータを作成するためのデジタル機材が並ぶ。《写真撮影 中野英幸》 HHCPの社屋はハリウッドの街の北側の崖の上に建つ。プール付きのマンションで、その1〜2階の4部屋をデザインスタジオにしている。《写真提供 SNデザインプラットフォーム》 HHCPのデザインスタジオ。インターン学生はここでプロと切磋琢磨する。《写真提供 SNデザインプラットフォーム》 中村史郎氏《写真撮影 中野英幸》 中村史郎氏《写真撮影 中野英幸》 SNDPの全スタッフ。経験豊かなベテランがパートナー企業をサポートする。《写真撮影 中野英幸》 中村史郎氏《写真撮影 中野英幸》 4200R(上)はその名の通り4.2LのV8をミッドシップした美しいスーパースポーツ。コモ(左下)はスーパースポーツとピックアップを融合した新ジャンルRVの提案で、荷台の下には当時のF1規則に準じた3.5L・V12を積む。ヴィークロス(右下)は路面を選ばないオールテレイン・スポーツ。ジェミニのフロアに専用設計のフレームとサスペンションを組み合わせ、1.6Lの直噴スーパーチャージャーを搭載した。このデザインをSUVのミューのフレームに載せて再現したのが量産型ビークロスだ。《写真提供 いすゞ自動車》 中村史郎氏《写真撮影 中野英幸》