ホンダグループのレーサー(ホンダ太陽・ホンダR&D太陽本社)《撮影 池原照雄》

ホンダは本田技術研究所などグループ企業とともに、車いす陸上競技用の「レーサー」と呼ばれる車両を事業化し、選手も支援している。11月17日の大分国際車いすマラソンの女子では、ホンダレーサーに乗る2選手が1、2位となり世界と日本の新記録を出した。

ホンダグループのレーサー事業の原点は、創業者本田宗一郎氏が障がい者の雇用促進に貢献しようと1981年に設立した部品会社のホンダ太陽(大分県日出町)にある。同社はホンダ製品向けのワイヤーハーネス(組み電線)などを1次部品メーカーから受注している。1992年には同じ敷地内に本田技術研究所を親会社とするホンダR&D太陽も設立された。いずれも親会社が、障がい者の法定雇用率に雇用者数を算入できる「特例子会社」である。

両社の従業員は計244人で、うち6割近い138人が障がいのある人だ。製造ラインは計21本あり、それぞれのラインはいずれも健常者と障がい者で構成している。両社の社長を兼ねる星野博司氏は「ホンダのフィロソフィである『人間尊重』を基に、みんなが助け合いながら自由で、個性的に能力を発揮できるライン構成に工夫している」と話す。

ホンダ太陽が設立された1981年は、今や世界のトップアスリートが集うようになった大分国際車いすマラソンが初開催された年でもあった。同社にはこの第1回大会から出場する従業員がおり、車いす陸上競技への関心が高まっていったという。90年代には、そうした活動を見た本田技術研究所の技術者がホンダ太陽に呼びかけて自己啓発グループを発足させ、「世界一軽いレーサー」を目指した自主的な活動が始まった。

そして1999年にホンダ太陽とR&D太陽内に、車いす陸上競技の公式クラブ「ホンダアスリートクラブ」が立ち上げられ、会社による選手への本格支援も始まった。翌2000年には本田技術研究所がレーサーを新たな開発品目に加えている。その後、13年にはホンダR&D太陽にホンダ傘下の車体メーカーである八千代工業(埼玉県狭山市)を加えた3社で高性能カーボンフレームによる陸上競技用車いす「極(きわみ)」の量産技術を確立、翌年から販売してきた。さらに19年4月発売の「翔(かける)フラッグシップモデル」からは本田技術研究所が開発し、八千代が生産、ホンダ太陽が販売窓口を担う体制としている。

ホンダ太陽およびR&D太陽のホンダアスリートクラブには現在、トライアスロンや育成選手を含め男性5人が所属、午前はそれぞれの仕事に従事し、午後は練習に取り組む日々を送っている。クラブ代表で、大分国際のハーフマラソンでは6回の優勝を誇る渡辺習輔さん(51、データビジネス課)は95年に入社し、翌年から競技を始めた。本田技術研究所とともにレーサー開発に取り組んだ経験もある。

兵庫県出身で、当初は早く故郷に帰りたいと思っていたそうだが、競技やレーサー造りが人生の一大転機になった。「ホンダは夢を大事にする会社なので、夢をもって働き続ければ会社も力になってくれる。現役を続けながら、これからは後進もしっかり育てたい」と、クラブのリーダーとして新たな夢を描いている。

また、フルマラソン選手である河室隆一さん(46、製造課)は、勤務していた大分県内の木材加工会社で10年に事故にあって脊髄を損傷、リハビリを経て11年に入社した。健常者だったころから趣味でマラソンをしていたので、迷わず車いすで続けることにした。仕事では「元々、手作業が得意だった」ことから、現在では10余りの製造工程をこなす模範的な多能工となった。「(事故は)ショックだったが、このような環境を得て立ち直れた。これからも更に記録を伸ばしていきたい」と、決意を語った。

〈協力:ホンダ(工場取材会)〉

ホンダ太陽・ホンダR&D太陽本社《撮影 池原照雄》 ホンダ太陽・ホンダR&D太陽の星野博司社長《撮影 池原照雄》 ホンダアスリートクラブの渡辺習輔選手《撮影 池原照雄》 ホンダアスリートクラブの河室隆一選手《撮影 池原照雄》 ホンダ太陽・ホンダR&D太陽のホンダアスリートクラブ選手と社員《撮影 池原照雄》