2022-2023日本自動車殿堂表彰式《写真撮影  内田俊一》

日本自動車殿堂は、2022-2023日本自動車殿堂表彰式を行い、ラリードライバーの篠塚建次郎氏をはじめとした4人の殿堂入りを発表し表彰した。

殿堂者とは、自動車社会構築の厚労者を選定テーマとし、先人の業績と顕彰に留めることなく、現在、そして将来に向けてたゆみない努力を続けている方々も選行対象としている。さらに自動車産業や学術はもとより、文化的な活動の分野にも選行対象が及ぶことが前提とされている。具体的には、技術分野では、日本国自動自動車技術開発に人力さった方。次に産業分野としては、日本の自動車及び自動車産業の基盤を開拓した方。そして学術分野では、日本の自動車工業学術に貢献された方。最後は社会分野で、日本の自動車社会の発展に貢献された方。こうした選考基準に基づき殿堂入りとその表彰が行われた。

◆20世紀初頭にあって我が国初の蒸気自動車を制作された山羽虎夫氏
20世紀初頭にあって自動車とその動力源に高い関心を持ち、わが国初の蒸気自動車を制作。その後、自動車国産化、さらには自動車大国日本の端緒を切り開いたとことが評価された。

山羽虎夫氏の親族の山羽真二氏は、「山羽虎夫は私の曽祖父にあたり、1963年に私が生まれた時には、既に他界。曽祖父の功績である、国産車第1号を知るのは岡山市烏城公園の胸像、幼いころに見た本の挿絵だけで、選出まで詳しくは知らなかった」と述べる。そこで「トヨタ博物館に出向き、その資料に国産車作りに挑んだ人物として、1904年、国際車第1号、山羽式蒸気乗合自動車とはっきりと記されていたので、20年ほど前にレプリカ展示を親戚で観覧した時は違う感慨があった」という。そして、「残念ながら、山羽虎夫の自動車は実用化されなかったが、今回、選出してもらえたことで、一無二の功績として、親族一同誇りに思う」とコメントした。

◆トヨタの純国産自動車開発の道を戦前から戦後にかけて主導された中村健也氏
生産設備を開発し、量産体制を構築。トヨタの初代主査として純国産乗用車、『クラウン』の開発を指揮するとともに、主力車種の開発を担当し、その後に続く主査制度を確立したことが選考理由とされた。

ご子息の中村隆次氏は、「父はこういう晴れがましい舞台は好まず、あまり興味も示さなかったのでとても偏屈な変わり者だった。その人間をしっかりとサポートしてくれた、豊田英二さん他、多くの仲間に恵まれていた。(今回の殿堂入りができたのは)それに尽きる」と語った。

◆国産初の御料車、そして日産初の前輪駆動車の開発を推進した増田忠氏
軽自動車、『フライングフェザー』の開発に携わり、その後国産の初の御料車の開発を主導。数々の新技術に挑戦するとともに、日産初の前輪動車の開発を手掛け、その後の大衆車の基盤技術を確立したことが殿堂入りの理由とされた。

ご子息の増田奏氏は、忠氏のエピソードを次のように披露した。「きょうの表彰は、父のエンジニアとしての業績を評価いただいたと思うが、実は父は元来文化系の人間で、旧制中学の時に進学先を大学の文学部を志望していた。ところが時代は今から80年前、日米関係が怪しくなり、太平洋戦争が勃発する直前のことだった。若者たちの間には、文学部の学生は真っ先に南太平洋か東南アジアに送られ、工学部と医学部であればどうやら最後まで内地に残ることができそうと聞き、父は直ちに志望を変更。工学部と医学部を受験し、運よく両方に合格した。私がどうして工学部を選んだのかと聞いたところ、俺は戦場でも病院でも血を見るのは嫌なんだよといっていた」

「それでもやはり学徒動員はされ、国内の軍需工場をあちこちと転々としていたようだ。その頃は日本に物資がなく、工場へ動員されたものの、ほとんど仕事はしてなかったように聞いている。当時の日本が向いている方向からすれば、父はかなりの非国民だったわけだが、それが戦後、なんと天皇陛下のクルマの開発に携った。そして亡くなってから25年経つが、今回殿堂に入れていただくのだから、親父はなんと恐れ多い奴だろうと息子の私としては、ひたすら恐縮している」とユーモアを交えながら忠氏の人柄を語った。

◆モータースポーツの発展に寄与した日本人初の国際ラリー総合優勝者、篠塚建次郎氏
パリ・ダカールラリーとWRCで日本人ドライバーとして初の総合優勝を成し遂げ、ラリー競技への認知度を高めるとともに、アフリカでの教育環境向上に尽力されるなど社会貢献活動も積極に進めたことが殿堂入りの理由であった。

篠塚建次郎氏は、「殿堂入りの連絡をもらった時、本当に驚いた。日本自動車殿堂とは、自動車の研究、開発、生産、販売に尽力してきた名だたる方々が名を連ねている。スポーツの世界での殿堂入りも素晴らしい成績功績を残した方々がいらっしゃる」としたうえで、「私は56年間、ただ走りたいと、ずっと走ってきた。未だに生涯現役で走りたいという目標を持ってハンドルを握り続けているラリードライバーだ。この場にこうして立っていることだけで、心底恐縮している。それと同時に、こんなにも大きなご褒美をいただいたことに舞い上がっている」といまの気持ちを語る。

そして、「私はラリーに出場して良い成績でゴールするたびに多くのものを手に入れてきた。ゴールするたびに夢や希望が叶って、幸せが舞い込んできた。そこで私にたくさんの幸せをもたらしてくれたことへの感謝の気持ちを形にしたいと、ゴールした回数が最も多いセネガルのダカールに学校を作ったのだ。それは、ダカールとの関係を持ち続けたいという気持ちからで、今回の殿堂入りの評価に結びつくというようなことは本当に考えてもいなかった。頑張って頑張って走り屋として走り続けて良かったと心底思っている。この殿堂入りをバネにもっともっと自動車に愛着を注ぎ、日本の自動車業界のために役立つ努力をしたい」とコメントした。

山羽虎夫氏《写真提供 日本自動車殿堂》 山羽虎夫氏の親族の山羽真二氏《写真撮影  内田俊一》 中村健也氏《写真提供 日本自動車殿堂》 中村健也氏のご子息の中村隆次氏《写真撮影  内田俊一》 初代トヨタ クラウン《写真提供 トヨタ自動車》 増田忠氏《写真提供 日本自動車殿堂》 増田忠氏のご子息の増田奏氏《写真撮影  内田俊一》 日産 プリンスロイヤル《写真提供 日産自動車》 篠塚建次郎氏《写真撮影  内田俊一》 篠塚建次郎氏《写真提供 日本自動車殿堂》 三菱 パジェロ《写真提供 三菱自動車》 2022-2023日本自動車殿堂表彰式 左から山羽虎夫氏の親族の山羽真二氏、中村健也氏のご子息の中村隆次氏、増田忠氏のご子息の増田奏氏、篠塚建次郎氏《写真撮影  内田俊一》