2015年のクラシックカーイベント(オーストリア)に登場したモス氏。《photo (c) Getty Images》

英国出身の元F1ドライバーで、“無冠の帝王”とも称される名手、サー・スターリング、スターリング・モス(Stirling Moss)氏が90歳で逝去した。F1公式サイト等が4月12日に報じている(正式な死因、没日等は現時点で未判明)。

1929年生まれ、英国出身のモス氏は1950年代を中心に多くのモータースポーツシーンで活躍した人物。いわゆるF1世界選手権には1951〜61年に決勝出走実績があり、クーパーやマセラティ、メルセデス、ヴァンウォール、ロータスなどをドライブした。

F1世界選手権の年間レース数がまだ少なかった時代に、モス氏は通算16勝をマーク。決勝出走は66回だったという説があるので、勝率は概算で2割5分近くあったことになる。これは1980〜90年代に活躍したアラン・プロストや故アイルトン・セナにも遜色ない水準だ。

だがモス氏はプロストやセナと違い、F1のドライバーズチャンピオンにはなっていない(プロストは4冠、セナ3冠)。モス氏が“無冠の帝王”的な形容で語られることが多いのはそのためである。

1955〜58年に4年連続で年間ランキング2位、59〜61年は3年連続で同3位(61年は3位タイ)と、恒常的に惜しいところにいたことが分かるモス氏の成績推移。通算16勝は2019年終了時点における「チャンピオン非経験者の歴代最多勝記録」となっている。ただ、それよりも強調しておきたいのは、実績以上にモス氏の力量そのものを高く評価する声がずっと強かったことの方だ。

ちなみにモス氏の16勝、常に“F1非王者最多勝記録”だったわけではない。モス氏の勝利数を超えてから初戴冠した(と解釈し得る)事例がいくつか確認でき、たとえば1992年に悲願のF1王座初獲得を果たしたナイジェル・マンセルがそうである。彼は90年、同年唯一の勝利がモス氏に並ぶ通算16勝目で、91年終了時点では21勝していた。最近では2016年F1王者ニコ・ロズベルグが該当しよう。彼は同年開幕時点では通算14勝だったが、初戴冠が決まった同年最終戦(2位)の前までには通算勝ち星が23に達していた。

モス氏は1962年に非選手権戦のF1レースに出場した際に重傷を負い、これがもとでF1引退となる。しかしその後も長くモータースポーツ界、ひいては自動車界全体におけるアイコニックな存在として尊敬を集め、愛され、多大な貢献を果たし続けてもいた。メルセデスやフェラーリがモス氏の名を限定仕様モデルに冠したことなどでも知られる(フェラーリでのF1世界選手権戦出走は最終的に実現しなかったとされるモス氏だが、別カテゴリーではフェラーリでの優勝経験あり)。

そして2020年、モータースポーツの歴史を彩る名手は天空に輝く星となった。享年90。スターリング・モス氏の冥福を祈り、その功績に最大限の敬意と感謝を捧げたい。

2015年のクラシックカーイベント(オーストリア)に登場したモス氏。《photo (c) Getty Images》 グッドウッド2015でのモス氏(車内)。左はジェンソン・バトン。《photo (c) Getty Images》 グッドウッド2015でメルセデスのパレードを率いるモス氏。《photo (c) Getty Images》 モス(1950年、ブランズハッチ)《photo (c) Getty Images》 1951年サンレモGPでのモス(写真2番手)。写真先頭は優勝したアスカリ。《photo (c) Getty Images》 1954年イタリアGPでマセラティを駆るモス。《photo (c) Getty Images》 1955年ミッレミッリャで優勝したモス。《photo (c) Getty Images》 1957年イタリアGPをヴァンウォールで優勝したモス。《photo (c) Getty Images》 1959年ニュージーランドGPでクーパーに乗るモス。モスは優勝し、クーパーは表彰台を独占した。《photo (c) Getty Images》 1960年モナコGPをロータスで優勝したモス。《photo (c) Getty Images》 1961年モナコGP、ロータスの車体が壊れて体が素通しになりながらも優勝したモス。《photo (c) Getty Images》 1962年、モス引退の原因となったグッドウッドでの事故。《photo (c) Getty Images》