2018日本自動車殿堂表彰式 左から大倉喜七郎氏、中川良一氏、秋山良雄氏《撮影  内田俊一》

11月15日、2018年日本自動車殿堂の表彰式が開催された。2018歴史遺産車は日野『アンダーフロアーエンヂンバスBD10型』など3台、2018殿堂者(殿堂入り)は大倉喜七郎氏をはじめ3名が選ばれ、表彰された。

日本自動車殿堂の歴史遺産車と殿堂者の選定にあたっては、自動車社会構築の功労者をテーマとし、日本自動車殿堂内に設置された研究・選考会議において議論される。歴史遺産車については自動車産業、自動車交通及び自動車文化の発展に貢献した、歴史に残すべき自動車として、主としてコンセプト、技術、スタイル、バリューフォーマネーなどに優れた自動車とされ、乗用車全般に加え、二輪車、三輪車、商用車、協議車両、特種用途自動車なども対象となる。

殿堂者は、1)技術分野:日本独自の自動車技術開発に尽力された方、2)産業分野:日本の自動車及び日本自動車産業の基盤を開拓された方、3)学術分野:日本の自動車工学・学術に貢献された方、4)社会分野:日本の自動車社会の発展に貢献された方という4つの基準の分野から選定される。

◆2018日本自動車殿堂 歴史遺産車:日野アンダーフロアーエンヂンバスBD10型(1952年)

選定理由は、バスの輸送効率に配慮した商品作りにより、日本におけるバス設計に多大なる貢献をもたらした。車体中央床下にエンジンを搭載、平坦にして広い床面積を確保、キャブオーバー型車体の採用による座席数の増加や、我が国初の画期的なセンターアンダーフロアエンジン車を実現したことによる。

日野自動車製品開発本部CEの山口達郎氏は、「1952年、当時の我々の前身である日野ヂーゼル工業から『ブルーリボン』という名称で発売されたバスだ。車室内を広くすることでより多くの人を乗せることを目的に、エンジンを寝かせ、ミッドシップレイアウトで搭載した画期的な車両だった」と紹介。

当時ボンネット型バスから、箱型のバスに移行する中で、競合他社の多くはエンジンを車両の後方に搭載する方向であった。しかし日野は、「より多くの人を乗せられる広くフラットな床のバスを作りたい、そして操縦安定性にこだわりたいとの想いからセンターアンダーフロアエンジンに挑戦した。このチャレンジ精神においては現代の変化の激しい中、我々も是非見習っていきたいと考えている」という。

現在ブルーリボンはハイブリッドエンジンを搭載したノンステップバスへと進化。また観光バスは『セレガ』と名称を変えたが、「バスというカテゴリーは、より多くの人を、より安全快適に、より早く目的地に移動してもらうことに関して、過去も現在も変わることがない。我々は今新しいバスをどんどん開発しているが、このクルマの開発の精神を引き継いで、また歴史に残るような開発生産販売できる会社として今後も精進していきたい」とコメントした。

◆2018日本自動車殿堂 歴史遺産車:トヨタ・カローラ(1966年)

消費者心理をとらえた商品作りにより、自家用乗用車普及に比類のない貢献をもたらした。大きめのエンジンや4速フロアシフト、丸型メーター、そしてセミファストバックスタイル、セパレートシートなど、ファミリーカーの常識を一変させ、1969年から33年連続で販売台数首位の座に君臨した歴史に残る名車であることが評価された。

トヨタ博物館館長の布垣直昭氏は、「1960年代というと、日本のモータリゼーションが築かれた大切な年代。日産『サニー』やマツダ『ファミリア』などと並べたトヨタ博物館のコーナーは人気である。そこに訪れた人たちの多くが、+100ccのカローラだという当時の広告宣伝までも鮮明に覚えて語られている」と紹介。

しかし、「この初代カローラの開発にも携わっていた佐々木紫郎氏によると、+100ccというのは日産サニーに対抗して作ったのではなく、当初目標としていた性能が十分に達成できなかったからだ」とエピソードを披露する。

またこのクルマは、「トヨタ自動車にとって大きな意味があったクルマだ」という。カローラが発表された1966年はトヨタの第一号車であるトヨダ『AA型』が発表されてちょうど30年後にあたる。「創業者の豊田喜一郎はもうこの時には亡くなって十数年経っていたが、当初よりいつか日本人の手によって誰でも買える値段で、日本中が、あるいは世界の人たちが乗るような独自性のある小型車を作りたいという夢を描いていた。その夢が本当に実現できたのが初代カローラだったのではないか。だからこそ多くの方が購入するベストセラーカーとして成長し、世界中で愛されるクルマになったのではないか」と語っていた。

◆2018日本自動車殿堂 歴史遺産車:ホンダ・ドリームCB750FOUR(1969年)

北米で通用する大型オートバイを、750ccエンジンの採用により実現し、我が国におけるこのクラスの原点となる高性能4気筒エンジン、量産日本初のフロントディスクブレーキ、人間工学に基づく車体デザイン、振動騒音の低減など、安全で快適な高速長距離ツーリングを実現したことが授賞理由として挙げられた。

本田技研工業広報部二輪広報課課長の小倉道生氏は、CB750FOURについて、「当時は東名高速道路が開通するという時代で、移動距離も長距離化、高速化が進んでいく時代にCB750FOURを発売した。その時代の流れの中でお客様の安全性、安心、快適性、二輪車ならではのワクワク感の全て兼ね備えたものとして開発し発売した」と説明。

現在もCBはホンダの重要な商品としてとらえてられており、今現在も脈々と受け継がれている。「ちょうど来年、CBシリーズが誕生してから50年という節目に表彰してもらえたことを嬉しく感じている」と述べた。

◆2018日本自動車殿堂殿堂者(殿堂入り):大倉喜七郎氏 日本の自動車レースと自動車文化を先駆

大倉喜七郎氏は、大倉財閥2代目総帥としての活躍と共に、日本人レーサーの先駆者として自動車レース黎明期の基盤を築き、自動車輸入販売会社や日本自動車倶楽部の設立など、自動車文化を先駆し多くの功績を残した。

授賞式には孫にあたるホテルオークラ取締役会長の大倉喜彦氏が出席し、次のようなエピソードを披露した。「私の祖父が自動車と出会ったのは、19世紀の末年から20世紀初頭の英国だった」。

「17歳の時に渡英して予備校に入って数年後にケンブリッジという学校に入学。たまたまケンブリッジで一緒になったのがチャールズ・ロールスという後にロールスロイスのパートナーになった人。そして戦争中に飛行機を作っており大臣にも就任したブラバゾンの二人の影響で黎明期の自動車にのめり込み、英国ではレースにも出場(1907年ブルックランズサーキット)するほどだった」

「その後は徐々に飛行機の方に行きかかったのだが、祖父の会社の英国にいた番頭が、曾祖父に危険だと訴えて帰国させられ結婚した。しかし、晩年まで自動車が好きで、特にアメリカ車が好きで、デソートやキャデラック、ハドソンやビュイックなどに乗っていた。自動車をずっと愛していた祖父にとっては本当に名誉なことだと喜んでいるだろう」。

◆2018日本自動車殿堂殿堂者(殿堂入り):中川良一氏 日本の航空機・自動車の総合性能を跳躍させた偉大な技術人

中川良一氏は、航空機のエンジン開発の後、プリンスから日産にて自動車のエンジンの開発、「R380」などによるレース活動への参戦、さらに電子制御技術など革新的技術に挑戦し、自動車の総合性能技術の発展に多大なる貢献した。

長男の中川脩一氏は表彰式にて、「父が亡くなって20年になる。昭和11年(1936年)に中島飛行機に入社しすぐに戦争が激しくなってきた。太平洋戦争でたくさん使われた零戦に搭載した栄エンジン、その後誉エンジンの開発に従事していた。だんだん仕事が忙しくなり、都心から工場のある荻窪の近くに引っ越した頃は、エンジンの試運転、あるいは性能試験の轟音が我が家にも聞こえる状況だったが、そのうちB29から落とす爆弾の音が近くなってきて、家族は疎開するなどした覚えがある」と当時を振り返る。

戦後はその荻窪工場を中心に、「富士精密工業、プリンス自動車工業にて『スカイライン』などを開発。また日産自動車になってからは、電子制御技術、排ガス対策などの技術開発に注力した。父が亡くなる直前に、我が人生に悔いなしと話していたので、これは教えを受けた先輩方や一緒に仕事をしてくれたたくさんの方々のおかげだと思っている」とコメントした。

◆2018日本自動車殿堂殿堂者(殿堂入り):秋山良雄氏 我が国初の水冷式水平対向エンジンの生みの親

秋山良雄氏は、スバルにおいて我が国初の、アルミ合金製の水冷式水平対向エンジンに取り組み、コンパクトにまとめた軽量かつ低重心の、高出力高耐性のエンジンを開発し、自動車の技術の発展に大きく貢献した。

ご子息の秋山一矢氏は授賞式にて、「もし父が生きていたら大変喜んだことだろう。父との思い出は、ちょうど私が中学から高校時代、当時の父は40代で、毎日会社から帰ってくると夕食を済ませ、その後寝るまで会社から持ち帰った書類に目を通していた。スバル『1000』の開発時期だったのでプレッシャーもかかっていたことだろう。その当時我が家は社宅に住んでいたので、私と妹と母がテレビを見ている中、今考えるとよく集中できたものだなと思う。ただし、日曜日は仕事はしないで家族と一緒に遊んだり出かけたりしていた」と思い出を語った。

2018日本自動車殿堂表彰式 左からホテルオークラ取締役会長の大倉喜彦氏、中川脩一氏、秋山一矢氏《撮影  内田俊一》 2018日本自動車殿堂表彰式 歴史遺産車《撮影  内田俊一》 2018日本自動車殿堂表彰式 左から日野自動車製品開発本部CEの山口達郎氏、トヨタ博物館館長の布垣直昭氏、本田技研工業広報部二輪広報課課長の小倉道生氏《撮影  内田俊一》