ヤナセ代表取締役社長 井出健義氏≪撮影:中尾真二≫

22日、ヤナセ横浜ニューデポ―にて「ヤナセクラシックカーセンター」の開所式が行われた。セレモニーの挨拶でヤナセ代表取締役社長井出健義氏は、クラシックカーセンター設立の4つの目的を語った。

ひとつは、ヤナセがスローガンとしている「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」を具現化したものだとする。CASE車両やモビリティ革命が、これからの自動車のメインストリームだとしても、ヤナセは移動だけがクルマの目的、価値ではないとする。

時代はモノ(消費)からコト(体験)へと言われているが、走る喜び、見て心が躍る感情は、まさに「コト」を楽しむ行為そのものだという。そのようなニーズはこれからも続くとしてセンターを立ち上げた。

2つめは、クラシックカー文化をもっと日本に根付かせたいという想いからだ。将来的にはクラシックカーの売買市場も立ち上げたいとする。そのためには、品質が担保された信頼のある車両の供給体制が必要となる。クラシックカーセンターは、文化・ビジネスの両面で期待がかかる。

3つめは、技術の伝承。EVやコネクテッドカーが普及してくると、いわゆるメカニックは少数派となる。F1チームなどでも設計・整備・チューニングスタッフをエンジニアと呼ぶようになって久しい。オールドタイマーの整備やチューニングができる「匠」の技をどう残していくかは文化的な意義が高い。クラシックカーセンターには何名もの20年、30年のベテランメカニックがいる。ヤングタイマーからオールドタイマーまで、組織的な技術継承の場としての意味を持つ。

最後は、これらを総合した社会的意義のためだ。古いクルマの保護、活用は社会、文化、産業など複数の視点からみてもおろそかにできない。開所式では、クラシックカーガレージの認証を行ったテュフラインランドジャパン 運輸・交通部長 有馬一志氏は、EUでは30年以上のクラシックカーは税の優遇があると述べていた。国がその価値を認めて保護している。ガレージ認証のその一環といえるものだ。

ヨーロッパでは、100年以上たった道具は精霊がやどり言葉をしゃべるという。同様な言い伝えには、日本にも「付喪神」信仰がある。にもかかわらず、日本の政策は、古いクルマはいうに及ばず、趣味や移動手段としてのクルマさえ手放せといわんばかりの複雑な税制・規制が続いている。

冒頭に述べたとおり、ヤナセは「クルマをつくらない」企業だ。MaaS時代にはむしろ好都合かもしれない。高級輸入車のシェアや移動サービスにシフトするという選択もあったはずだが、あえて「所有」を意識したオールドタイマー、ヤングタイマーの保存ビジネスに投資をするわけだ。井出社長の言葉に「顧客のニーズに応えるため」ともあった。また、MaaS時代は、車両台数が減っても車両稼働率は跳ね上がる(車庫に眠るオーナーカーが少なくなる)。稼働車両のメンテナンス需要は高まるはずだ。ヤナセは輸入車の補修・修理については、ヘタな外車ディーラーよりノウハウと技術を持っている。実際、クラシックカーセンターが作られた横浜ニューデポーには、国内外車ディーラー、代理店などからの修理を請けている。

クラシックカーセンターは、文化的な意味合いが高い取り組みだが、ヤナセ流のモビリティ革命シフトともいえる。

ヤナセクラシックカーセンター開所式≪撮影:中尾真二≫ テュフラインランドよりクラシックカーガレージ認定の授与≪撮影:中尾真二≫ クラシックカーセンターのメカニックスタッフ≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W136 170SカブリオレB(1951年)≪撮影:中尾真二≫ フォルクスワーゲン Type1(1952年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W136 170SカブリオレB(1951年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ R129 500SL(1991年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ R107 560SL(1989年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W180 II 220S(1958年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W100 600(1972年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W112 300SE(1963年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W112 300SE(1963年)≪撮影:中尾真二≫ メルセデスベンツ W136 170S(1952年)≪撮影:中尾真二≫ ヤナセクラシックカーセンター開所式≪撮影:中尾真二≫