メルセデス35PS、4シーター車体。1901年にエミール・イェリネックにデリバリーされた1台。《photo (c) Daimler》

「メルセデス」が当時のダイムラー自動車会社によって製品名に採用されたのは1900年のこと。120年の歴史を持つこのブランド名は、実業家エミール・イェリネックの娘、メルセデス・イェリネックに因む。

自動車産業が黎明期だったその当時、自動車愛好家でビジネスマンでもあったエミール・イェリネックは、覚えやすいブランド名の重要性を認識していた。イェリネックは1900年4月、ダイムラーとの間で自動車とエンジンの供給・販売について契約し、新しく開発されるエンジンが「ダイムラー・メルセデス」と呼ばれることになる。

実は「メルセデス」という名前は、エミールの仮名としてすでに何年か使われていたものだった。メルセデスが、1889年生まれの、エミールの娘の名前だったことは知られている。エミールは19世紀末からダイムラーに対し、自動車の性能向上を要求し続けており、1899年からは“ムッシュー・メルセデス”の仮名を用いてダイムラーの高性能車に乗り、南仏コートダジュールで開催されるレースに参加していたのだ。

1900年12月22日、ダイムラーは新開発の35PSエンジンを装備したレーシングカーをフランスのニースで発表する。この車は、“馬なし馬車”ではなく、現代に続く自動車として企画された最初期の車の1台といわれる。「メルセデス35PS」は性能、重量、安全性についてシステマチックに設計されたエンジンだった。そして1901年3月、当時の自動車イベントとしては国際的に重要だった“ニース週間”において、メルセデス車は各種レースでめざましい成績をあげ、その名声を高めた。

メルセデス車のモータースポーツと市場での成功を受けてダイムラーは、1902年6月23日に「メルセデス」を商標として申請し、同年9月26日付で登録された。エミールは翌1903年6月、自身の名前(名字)をイェリネック・メルセデスに改名する。エミールは「父親の名前が娘に因んで名付けられたのは、歴史上初めてに違いない」とのコメントを残している。

エミール・イェリネックと娘のメルセデス・イェリネック(1895年ごろ)《photo (c) Daimler》 メルセデス35PS、排気側。軽量クランクケース、露出した排気カムシャフト、マグネトー、ウォーターポンプが見える。《photo (c) Daimler》 メルセデス35PS、吸気側。軽量クランクケース、キャブレーター(2基)、露出した吸気カムシャフト、マグネトーの回路を断続するコントロールシャフトを見ることができる。《photo (c) Daimler》 1901年3月29日、ニース週間でのニース〜ラ・テュルビー間ヒルクライムに勝利した後のアンリ・ド・ロチルド男爵所有のメルセデス35PS。運転席は、ダイムラーのエンジニア兼ドライバーのヴィルヘルム・ヴェアナー。のちにドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の運転手となる。《photo (c) Daimler》 1903年型メルセデス・シンプレックス40PS、4シーター・トノー車体。写真は貴重な現存車。《photo (c) Daimler》 1903年型メルセデス・シンプレックス40PS、4シーター・トノー車体。写真は貴重な現存車。《photo (c) Daimler》 1903年型メルセデス・シンプレックス40PS、4シーター・トノー車体。写真は貴重な現存車。《photo (c) Daimler》 メルセデス・イェリネックの出生届《photo (c) Daimler》 メルセデス・イェリネック、11歳《photo (c) Daimler》 メルセデスのレーシングカーに乗るメルセデス・イェリネックその人(1906年ごろ)《photo (c) Daimler》 メルセデス・イェリネックのパスポート《photo (c) Daimler》 ニースの港に止まる1903年型メルセデス・シンプレックス40PS。2017年4月のイベント。《photo (c) Daimler》 ニースからラ・テュルビーをめざす1903年型メルセデス・シンプレックス40PS。2017年4月のイベント。《photo (c) Daimler》 ラ・テュルビーの1903年型メルセデス・シンプレックス40PS。2017年4月のイベント。画面左右の建物は、1901年と同じ建物だ。《photo (c) Daimler》