アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》

アルピーヌ・ジャポンは同社のブランドの認知度向上を目指し、六本木ヒルズ(東京都港区)に3月3日までの期間限定のギャラリー、「アルピーヌギャラリー」をオープンした。

◆認知度向上のためのタッチポイント

「アルピーヌのブランド、歴史、イメージ、そして『A110』の情報を来場者とシェアし、アルピーヌの世界観を味わってもらいたい」とは、アルピーヌ・ジャポンCOOのトマ・ビルコ氏の弁。そして、「アルピーヌファンを始め、アルピーヌブランドに興味を持っている方々、A110に興味を持っている方々に特別な体験を提供できる場所になる」とこのギャラリーオープンに対する想いを語る。

ビルコ氏は、「クルマの評判は非常に高く、アルピーヌディーラーには多くのお客様が来場している。そこでは、クルマに関する質問だけではなく、アルピーヌブランドに関する質問も多くあることから、アルピーヌブランドとして、お客様と情報を共有できる場所を提供したいという思いから、このプロジェクトが始まった」という。

また、「アルピーヌブランドの復活は始まったばかり。これからもっと認知度を上げていく必要がある。今日から2週間ほどアルピーヌ・ジャポンのチームがアルピーヌギャラリーで皆様を待っている。多くのお客様とコミュニケーションを図り、アルピーヌとはどういうブランドなのか、理解を深めてもらいたい」と話す。

今後についてビルコ氏は、「アルピーヌの日本での復活の歴史は去年の夏から始まった。まずは50台の限定車については去年の12月までに納車は終わった。続いて昨年12月7日からネットワークでの販売がスタート。ヨーロッパでは約3,000台、18ヶ月のバックオーダーを抱えているなかで、日本のお客様への供給をスムーズに進めることが私のメインの仕事」とし、「2019年の供給にはどうしてもリミットがあるが、日本のマーケットのためにアルピーヌディエップ工場との交渉を頑張りたい」とコメントした。

◆今後は地方でもコンタクトポイントを

前述の通り、アルピーヌが日本に本格導入されておよそ半年。ビルコ氏にその印象を尋ねると、「ディーラーによってはパニックになるぐらい来場者が多く、オペレーション的に大変になってきている。しかし、クルマの評判も良く、試乗も盛んで、クルマに乗ると“良いクルマだというコメントしか出てこない」と滑り出しは好調だという。

その一方で、「アルピーヌブランドは20年ほど寝ていたので、認知度はそれほどない。今年はブランドの歴史、戦略、イメージといったことへの訴求を頑張りたい」と述べ、このギャラリーもその一環として開設された。

当然のことながら、ユーザーは東京近郊だけではない。その点についてビルコ氏は、「ここは第一歩。スポーツカーなので試乗しないと意味がないので、そこを踏まえながらできるだけ商品とコンタクトできるイベントを東京以外でもやっていきたい。またフランスの文化も混ぜて考えている」と話す。

◆ユーザー層は2極化!?

実はギャラリー開設の背景には、商品ポジショニングの関係からユーザー層の2極化も挙げられる。ビルコ氏は、「アルピーヌは高級なスポーツカーと比較的買いやすいスポーツカーの真ん中あたりに位置しているので、来場者も、その両方から見に来ている」。どちらか一方に属していれば戦略は比較的明確だ。しかしその両方からなので、「とても良いことだとは思うが、その一方で大変な面もある」とし、こういったイベントを通して今後のマーケティング戦略の方向性を見据えていきたいようだ。

今年の台数に関しては、「基本的には供給次第。左ハンドルの供給は停止し、右ハンドルに集中する。右ハンドルの方が人気高く、現在80%くらい」。当初は両方供給していたが、「最初のお客様はアルピーヌファンで左にこだわりのあるユーザーが多かったが、今後はより一般的になるので右ハンドルが増える。日本は右ハンドルの国でクルマはそのマーケットに合わせて売りたい」とした。

アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》 アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》 アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》 アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 リネージ《撮影  内田俊一》 アルピーヌ A110 ピュア《撮影  内田俊一》 アルピーヌギャラリー《撮影  内田俊一》 アルピーヌ・ジャポンCOOのトマ・ビルコ氏《撮影  内田俊一》