豊田喜一郎氏

トヨタ自動車の米国部門は7月19日、トヨタの創業者の豊田喜一郎が2018年の米国自動車殿堂殿堂入りを果たした、と発表した。

豊田喜一郎は1894年、自動織機の発明家である豊田佐吉の長男として誕生。東京帝国大学を卒業後、父が設立した豊田紡織株式会社に入社し、1926年には新たに設立した株式会社豊田自動織機製作所の常務取締役に就任した。

1921年と1929年の米欧視察を通じて自動車社会に触れ、日本でも自動車の到来を予見し、国産自動車づくりへの挑戦を決意。1933年に豊田自動織機製作所に自動車部を設置し、翌年には自動車事業への進出を正式決定し、エンジンの試作を完成させた。

1935年には初の試作車「A1型乗用車」を完成したほか、「G1型トラック」を発表。翌年には「AA型乗用車」を生産開始し、その後1937年にトヨタ自動車工業株式会社を設立。豊田喜一郎は1941年から社長に就任したが、1950年には労働争議の責任を取って社長を辞任。1952年3月、社長への復帰が内定していたなか、57歳にて逝去した。

米国自動車殿堂のラムジー・ハーミス会長は、「豊田喜一郎氏は、自動車産業への重要な貢献の数々に証明されているように、歴史上の限られた人しか持ち合わせていない先見性とイノベーションを具現化した人物。2018年の自動車殿堂に喜一郎氏を選ぶことができて嬉しく思う」と述べている。