城北ライダースは、1958年に設立され、日本のモータースポーツの黎明期にトップチームとして君臨した。

6月23日、東京・品川のアリスアクアガーデン品川で「城北ライダース」の60周年記念パーティが開催された。同クラブは、日本のモータースポーツ黎明期に発足したレーシングチームであり、現在も活動する最も歴史あるクラブだ。

そもそもはスピードショップクボの久保靖夫氏の父が経営する大谷口モーターに、近所に住む故鈴木誠一氏がバイクのチューニングのために工具を借りにきたことから親交が始まり、久保兄弟とレース活動を始める。当時はクラブ登録の必要があったため、58年にMCFAJに登録したのが「城北ライダース」だった。

その後、日本のモトクロスで圧倒的な強さを発揮し、スズキにワークス待遇で迎え入れられるほどになった。そして久保靖夫氏は早くにライダーとしては引退し、メカニックに専念して鈴木誠一氏や弟の和夫氏らの走りを支えてきた。

やがて日産自動車がレーシングドライバーを募集するにあたり、速く走らせる経験をもった二輪のレーサーを採用したのは有名な話だが、当時の日産ワークスドライバーは四輪と二輪のレースを掛け持ちで活動していた人も多い。長谷見昌弘氏や黒沢元治氏らは、二輪レースのサポートを求め「城北ライダース」に加入したのである。

その後、オイルショックで自動車メーカーがレースから撤退すると鈴木誠一氏や久保靖夫氏、久保和夫氏らは東名自動車を設立し、レーシングカーのチューニングをビジネスとして確立させる。一方で「城北ライダース」はMFJ、MCFAJの公認クラブとして活動を続け、矢島金次郎氏亡き後はマフラー製作の名門、村上製作所の村上恒誓氏が30年もの間会長を務め、数々の国際A級ライダーを輩出してきた。

このように駆け足で振り返ってもレース界に与えた影響、功績は計り知れない名門クラブなのである。現在の城北ライダースは2012年に久保靖夫氏の二男、久保亨氏が会長を引き継ぎ、モトクロスを中心にレースに参戦する若いライダーをサポートしている。なお久保亨氏は、父靖夫氏と東京・足立区でチューニングショップ「スピードショップクボ」を経営する。

この日、会場に集まったのは、1960年代に城北ライダースのライダーとして活躍したOBや、当時ライバルとして戦った鈴木忠男氏(SP忠男代表、69年全日本MXチャンピオン)、日本製F1マシンを作り上げたコジマエンジニアリングの小嶋松久氏など、錚々たる面々。

ステージ上では代わる代わる登壇したレジェンドたちが当時の裏話をトークショーで繰り広げ、また会場内は思い出話であちこち盛り上がる姿が見られた。

二輪業界の名門SP忠男レーシングの鈴木忠男氏と、日産ワークスドライバーで現在もSUPER GTの監督を務める長谷見昌弘氏が、当時を懐かしんで楽しそうに会話する姿もあった。意外な関係だが(長谷見氏は元城北ライダースのメンバーで現在もエンデューロに出場中!)この二人に親交があったのだ。

現在もSUOER GTのチーム運営に関わる黒沢元治氏が「それにしても、よくこれだけのメンバーを集めたなぁ」と感慨深く呟いたことが印象的であった。

60年代に城北ライダースのメンバーとして活躍した名ライダーとそのライバルたち。前列左から鈴木忠男氏、久保和夫氏、小嶋松久氏。後列左から黒沢元治氏、菅谷安智氏、大月信和氏、吉村太一氏、長谷見昌弘氏。 黒沢元治氏が在籍中メカニックをお願いした久保靖夫氏。久保氏は東名自動車でも手腕を振るい、コジマKE007のメカも務めた。 SP忠男レーシングの鈴木忠男氏と長谷見昌弘氏が、談笑している。こんな姿をそれぞれのレース関係者は想像できただろうか。 久保和夫氏の走りに憧れていたと語る鈴木忠男氏。当時の城北ライダースの圧巻ぶりを語ってくれた。 現在の城北ライダーズのメンバーたち(右端は創立メンバーの1人、松内弘之氏)。レーシングチームとして活動する一方、年に1回2時間のエンデューロ「城北カップ」を開催し、ビンテージモトクロッサーの動態保存にも務めている。 この日パーティに集まった出席者たち。サファリラリーの第一人者、岩瀬晏弘氏の姿も見える。