マツダ コスモスポーツ《画像提供 マツダ》

世界で初めて、ロータリーエンジン搭載車として開発、発売されたマツダ『コスモスポーツ』。このコンパクトでスマートなスポーツカーが発売されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。このマツダとして初のスポーツカーであり、日本の自動車史にも大きく記されるべき1台の歴史を紐解いてみることにしよう。

◆「乗るというより、飛ぶ感じ」

コスモスポーツが発売されたのは1967年の5月30日。価格は148万円だった。「乗るというより、飛ぶ感じ」というキャッチコピーが添えられていたのは、高回転までスムーズに吹け上がるエンジンの特徴と、飛翔しそうな未来的スタイリングがもたらす印象を、実に的確に表現したものだったといえよう。

ボディはモノコック構造が採用され、全長x全幅x全高は4140×1595×1165mm、ホイールベースは2200mm。これは現在の『デミオ』よりも全長が80mmだけ長く、ホイールベースは逆に370mmも短いという数値だ。2座席とはいえこれだけコンパクトなサイズで、ここまでシャープなスタイリングを実現しているということには驚かされる。

エンジンはアルミブロックの2ローターで、排気量は491x2の982cc。トランスミッションは4MT。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアはリド・ディオン アクスルを採用。車両重量は940kg、最高速度は185km/hと公表されていた。ただし翌68年には早くも大幅改良が施され、ホイールベースが150mm延長されて2350mmに。またエンジン最高出力も110psから128psにアップされ、同時にグリルの開口面積も拡大されるなどスタイリングも手直しされている。

◆飛翔感のあるスタイリング

ただしシャープかつ未来的で、とびきり個性的なスタイリングは共通。スポーツカーの形容としてしばしば使われる「疾走感」よりも、航空機のような「飛翔感」と言ったほうがしっくりくる。まさに「乗るというより、飛ぶ感じ」だ。これはホイールアーチすらも前後方向の流れを想起させる形状とすることで、水平基調で伸びやかなボディ造形をいっそう強調し、まるで浮遊しているかのようなイメージを与えるからではないだろうか。

ちなみにホイールアーチやフロントフェンダーなどに見られるディテールは、ピニンファリーナの手によるフェラーリ『400スーパーアメリカ・クーペアエロディナミコ』に酷似している。ここは乗用車市場に進出してまだ日が浅く、スポーツカーをデザインしたことのなかったメーカーの若さが露呈してしまった部分と捉えるべきだろう。なにしろ初の乗用車として『R360クーペ』を発売したのは1960年のこと。その後の『ファミリア』や『ルーチェ』では、ベルトーネの提案を踏襲して商品化している状態だったのだ。

ただし、水滴型でリアを低くしたシルエットで優雅さを強調しつつ、タイヤの存在感を強調してスポーティさも備えさせた400スーパーアメリカ・クーペアエロディナミコとコスモスポーツでは、ボディ全体の造形は大きく異なる。むしろノッチバックのシルエットや曲面ガラスを用いて側面まで回り込ませたリアウィンドウ、ボディ側面を水平に貫くキャラクターラインなどは、マツダ初の乗用車だったR360クーペとの類似性を強く感じさせる。

全体的にはブランドの個性を反映した、独自性のあるスタイリングと言っていいだろう。なにより低いボンネットと薄く尖ったノーズは、きわめてコンパクトなエンジンをフロントミッドシップとしたことで、はじめて可能となったものだ。

◆世界中のメーカーがロータリーに挑んだ

ロータリーエンジンを搭載した世界初の市販車は、コスモスポーツではない。NSUが1963年に発売した『ヴァンケル・スパイダー』だ。ただしこれは、すでに販売中だった『シュポルト・プリンツ』が搭載していた、600ccの並列2気筒空冷エンジンをシングルロータリーに換装したもの。つまりシャシーはロータリー搭載を前提に設計したものではない、実験的モデルだった。このことから「ロータリーの搭載を前提とした車体」を開発し、商品化したのはマツダが世界初ということになる。

マツダがロータリーエンジンの可能性を信じ、NSUそしてヴァンケル社と技術提携を結んだのは、1961年の7月。その3年後の東京モーターショーに展示するため、コスモスポーツのプロトタイプが広島から東京まで、社長自らドライブしたという逸話は有名だ。エンジンの耐久性を証明するだけでなく、販売店やメインバンクにたいして将来性をアピールすることにも大きく貢献したことだろう。ただし実際にショールームに並べられるまでには、ここからさらに4年弱という開発期間を必要とした。

この時代、2輪4輪を問わず世界中のメーカーが、ロータリーエンジンの可能性に着目し、開発を進めていた。NSUがGTサルーンの『Ro80』をフランクフルトモーターショーで発表したのは1967年の9月。コスモスポーツに遅れること約4カ月だった。このほかシトロエン『M35』、メルセデスベンツ『C111』、それにシボレー『エアロヴェット』など、「小型軽量で高出力」というエンジンの特徴を活かそうとしたプロトタイプが登場している。

それでも4輪車において量産モデルとして開発され、生産と販売がなされたのはコスモスポーツとその後のマツダ各車を除けば、Ro80ぐらいしか存在しないのではないだろうか。コスモスポーツは月間30台前後というペースで売れ続け、1972年まで生産が続けられた。販売台数は1176台だった。

◆その後のロータリースポーツ

コスモスポーツが販売を終了してから約6年。1978年3月に発売された『サバンナRX-7』のスタイリングに、コスモスポーツの面影を見た人は少なくないはずだ。ロングノーズ・ショートデッキというプロポーションこそ異なるものの、スラントした低く薄いノーズ、前後のバンパーを繋ぐ水平のモールと、そこを中心とした水平基調のボディ。

さらに、極端に太いBピラーや、Cピラーを廃したことで、大きくラウンドした1枚ガラスのように見えるリアハッチなど、コスモスポーツへの敬意が表出したと思しきディテールが散りばめられている。

サバンナRX-7は日本を代表するスポーツカーの1台として、そして世界唯一のロータリーエンジン市販車として、2度のフルモデルチェンジを受けつつ2002年まで生産された。その翌年には4ドアGTスポーツの『RX-8』がロータリーエンジン搭載モデルとして発売され、2012年まで生産。しかしこれ以降、マツダのラインナップにロータリーエンジン搭載モデルは存在していない。

それでも「ロータリー復活」を期待させる動きは断続的に発生している。2013年には発電用とはいえ、『デミオ』をベースにした『REレンジエクステンダー』に新型のシングルロータリーエンジンを搭載していた。2015年の東京ショーでは、コンセプトカーとして『RX-VISION』を公開。これはデザインスタディだったが、想定スペックとして「次世代ロータリーエンジンのSKYACTIV-Rを搭載する」とアナウンスされていた。

また同年、マツダは若手社員によるコスモスポーツのレストアプロジェクトを立ち上げた。目的は「過去を掘り下げて、生産当時の哲学や思想を今働くマツダ社員が直接肌で体感すること」、「お客様と一緒にその精神を継承し、未来へ語り継ぐこと」だったという。エンジンや足回りなどでの部品の再生や新造では、かつて部品を製造していたサプライヤーからも協力を得たとのこと。レストアの完成披露会は2016年の1月におこなわれている。

これ以降、マツダによる具体的な動きは見られない。しかし今年の東京ショーでは、なにかしらの発表があるという噂も耳にする。これが事実なのかどうかはわからないが、いつの日か世界で唯一無二のエンジンを搭載した市販車が復活することを期待したい。

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