F1で長年レースドクターを務めたシド・ワトキンズ博士が84歳で逝去した。F1の安全性を今日の水準まで引き上げた功労者であり、モータースポーツシーンで'教授' と親しまれたワトキンズは、20年以上にわたってメディカルカー乗務のオントラックメディカルチームを率いてきた。彼の応急治療を受けて命を拾ったドライバーは多数だ。

リバプールに生まれ、ここで学校に通ったワトキンズは、ブランズハッチとワトキンズグレンのサーキットドクターを務めた1978年にバーニー・エクレストンと出会い、その後F1の医学委員に推薦された。

ロニー・ピーターソンやジル・ビルヌーブといったドライバーが命を落とした時代に、F1の安全対策を推進し、サーキットの医療施設の水準向上に尽力したのがワトキンズだった。彼の功績は大きく三つ。すべてのサーキットにメディカルセンターを設置させたこと、医師同乗のメディカルカーの導入、そしてメディカルヘリコプターの常時待機のルール化だ。

ディディエ・ピローニ、ネルソン・ピケ、ゲルハルト・ベルガー、ルーベンス・バリチェロ、ミカ・ハッキネン、マーティン・ドネリー、カール・ベンドリンガーといった面々が26年間のワトキンズ在任中に救命された一方で、1994年サンマリノGPでは二日間にローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの死に立ち会うという悲劇も経験している。イモラの惨劇の後、ワトキンズの主導で設置されたFIA安全性専門家諮問委員会が後にFIAモータースポーツ安全研究所に発展した。

2005年に現場から退任したが、その後も安全研究所の所長として安全性問題に影響力を発揮、2011年には名誉職のみを残して第一線から退いた。

セナの伝記映画「音速の彼方へ」に出演したワトキンズは、ラッツェンバーガーの事故直後に、セナに対して引退して一緒に釣りに行こうと誘ったという秘話を語っていた。