アイドラーズ12時間+9分耐久レース

レースをするために集まったのだから納得できるレースをしたかったが、仕方なし。これもまたレースの現実である。しかし、我々の「AIOC東日本復興祈願145」の元に全国からメンバーが集まった目的は、もうひとつあった。走ること、競うことでできる「募金」である。

早朝のスタート前に決めた約束は、予選順位からポジションアップした順位の数につき1000円の寄付をしようというものだった。25位からスタートして(結果は無念であっても)最高位3位まで順位を上げたのだから、22×1000円、メンバー1人あたり2万2000円を寄付することにした。チームで集めた17万6000円は、後日、被災地の避難所に(当時)もっとも要望の強かった扇風機を70台ほど購入して寄付をした。

福岡の開業医である江本はこう言う。「震災直後、真っ先に日本赤十字社に医院と個人とで数百万円の寄付をしました。でも正直に言うと、少し後悔をしています。日赤はいったい何にどれだけ使ってくれたのでしょうか? お金よりも今回の扇風機のほうがぜんぜん良いと思っています」

関西の大川や山本は、「いいアイデアでしたね。1人ではなかなか大したこともできないけど、仲間が集まるだけで少しだけ力になれたと思えて良かったです」と語る。萬代も「被災地に近い方が、やっぱりいちばん何が必要かをわかっていると思います」と、物納で良かったと納得してくれた。

関東の岡本は、「趣味を通じて被災地支援ができる仕組みの両立というアイデアとしては有意義だと思いました。野球選手がホームランを打つたびに◯◯という活動に取り組む意味や意識が少し理解できました」と、語ってくれた。

最後に被災地から参加してくれた佐藤に当時のリアルな状況を語ってもらおう。

「震災直後には家族の安否確認と親戚一同の食料、燃料の確保に奔走し、さらに津波で家を流された叔父叔母の捜索、家の消火をバケツで行ったり瓦礫の撤去、遺体の情報提供等で数日、その後は伊藤真一さんや有志の皆で支援物資の仕分けから搬送で約2か月間、気仙沼から山元町まで宮城県内沿岸の津波の被害のあった所を中心に毎日物資を運びました」

「物資はほとんどがモータースポーツ関係者からの物だったので、改めてモータースポーツ界の輪の凄さを実感しました」

「そんななかでも毎日被災地を訪れるとニーズが次から次に変わるので、手持ちの現金が続くかぎり、女性用の下着や長靴などを買いました。特に、中古でしたが避難所に自転車を持っていった時には、貸し出しでなく個々に自由に使ってもらえるようにしたので非常に喜んでもらいました」

「本業が再開してからは競輪選手仲間で泥まみれだった名取市の閖上 (ゆりあげ)小学校の校舎で泥だし&高圧洗浄器での清掃、有志で石巻や東松島の泥だしや家や工場のかたづけ、時間のあるときには毎日、叔父叔母の家周りや近所の瓦礫撤去&ごみ掃除を今も継続的にやっております」

完全な復興はまだ何年もかかるだろう。今回、我々の東日本復興祈願145は順位も覚えていないくらい不満足な結果しか残せなかったこともあり、再び、来年の同じ時期に復興支援の旗の下に全国のホビーレーサーに集ってもらおうと考えている(文中敬称略)。

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