ウーノ

1980年代にフィアット・オートの社長を務め、小型車『ウーノ』生みの親として知られるヴィットリオ・ギデッラが16日、スイスのルガーノで病気のため死去した。80歳だった。詳しい病名は明らかにされてない。

ギデッラは1931年1月、イタリア北部ヴェルチェッリ生まれ。トリノで工学を学んだあと、当時フィアット傘下にあったベアリング会社Rivに入社した。RivがスウェーデンのSkfに売却されたのを機に自身も移籍、のちにスウェーデン企業初のイタリア人社長に昇格する。続いて米国の農機メーカー、アリス・ニューホーランドの社長に就いたが、1979年、経営不振にあったフィアットのジョヴァンニ・アニエッリ会長から要請を受けて社長に就任した。

社長就任後は労働組合問題を巧みに解決する傍らで、1983年フィアット・ウーノ、1984年ランチア『テーマ』、1985年フィアット『クロマ』およびアウトビアンキ『Y10』、1988年フィアット『ティーポ』などの新型車を次々と投入。それらはいずれも大ヒットを収め、フィアットの業績回復に大きく貢献した。

しかし、みずから推進した米フォードとの提携構想が他の首脳部から反発を招く結果となる。とくに自動車で得た利益を他のビジネスに投資しようとした、チェーザレ・ロミティ取締役(のちに社長)と対立。社内抗争の結果として1988年に社長を辞任した。

その後はスイスのルガーノに住まいを移して、自身のイニシャルをとった「VG」という投資運用会社を経営する傍ら、地元音楽祭の主催者を務めていた。2010年秋にはスイスのテレビインタビューに応じ、フィアット社長辞任後22年後にして初めて、フォードとの交渉やロミティとの対立を自らの口で語った。

私生活では1993年、20歳の娘を交通事故で亡くしている。

イタリア経済界きっての国際センスに溢れ、自動車に関しても深い造詣をもつ逸材だっただけに、表舞台を去ったあとも、彼は多くのイタリア人の記憶にあった。

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