トリノ・リンゴット地区のフィアット本社

★イタリア政界炎上 、ガラパゴスから脱出なるか

フィアットのマルキオンネCEOの発言が、またまたイタリア政財界を「炎上」させている。発端は、2011年2月5日の米サンフランシスコにおけるコメントである。提携先のクライスラーと2〜3年後に経営統合する可能性を示唆したうえで、その際の世界本社を「アメリカに置く場合もある」と言及したものだ。

この案についてマルキオンネはあくまでも検討の段階であるとしたものの、イタリア政界は即座に反応を示した。

サッコーニ労働大臣は「フィアットはイタリアの基本的財産である」として、グループの本社はトリノにあるべきだと主張した。ロマーニ経済開発大臣も「フィアットの意志決定機関は、イタリアに残すべきだ」と発言。自動車産業がイタリア国内総生産の10パーセントを占めることを示し、もしアメリカにフィアット-クライスラーの本社が移転すれば国内雇用に少なからず影響を与えかねないことを危惧した。

そしてついに、2011年2月11日土曜日には、シルビオ・ベルルスコーニ首相がマルシオンネCEOとこの件で会談を行なわれることになった。

繰り返しになるが、アメリカ世界本社構想は、まだ検討の段階である。また、2011年1月1日に分社化した重商用車部門「フィアット・インダストリアル」は、引き続きトリノに本社が残ることだろう。にもかかわらず、マルキオンネが“呼び出し”を喰らう事態にまで発展してしまった。

マルキオンネは、アメリカに世界本社を移転する理由として、「ベルパエーゼ(Bel Pease=美しい国。イタリアを意味する慣用表現)は政治的に難解すぎる」と説明している。

イタリア南部にあるフィアット工場の廃止・縮小案を提示するたび政界によって阻まれる。同時に、労働組合は運動が活発だった1970年代以来の強い発言力をもち、労働協約の柔軟性に欠ける。また、全米自動車労組(UAW)のように一本化されておらず、複数の組合と交渉しなければならない。こうした問題にマルキオンネが相当苦労してきたことは容易に理解できる。

同時にマルキオンネはクライスラーとの資本提携以来、ブッシュ米大統領とのパイプを築いてきた。今後のグループ全体の戦略を推し進めるうえで、米国へ軸足を移すほうがメリット大であることは想像に難くない。

イタリア人は、どんな形であれ国内ブランドが海外に“流出”してしまうことに敏感だ。1970年代にパスタメーカーのバリッラ社が約9年間にわたり米国企業の傘下にあったことは同社にとって失意の時代とされている。同じパスタメーカーのブイトーニに関してもしかりだ。イタリア人は現在同社がネスレの傘下にあることを、ちょっとした失望とともに話す。2輪メーカーのドゥカティにしても、90年代後半に米国資本が投入されていた時代は、同様に苦難の時代の扱いをする。

フィアットの創業家であるアニエッリ家も、外資のイタリア上陸を嫌ってきた。とくにフォードとの対決は歴史的だった。草創期には創業一世がフォード・イタリア工場の進出を阻止し、創業3世は1960年代にフェラーリ、1980年代にアルファロメオの買収をフォードが試みると、それらを傘下に収めることで対抗した。ちなみに1990年にフィアットが買収したインノチェンティも、ダイハツのイタリア進出を阻むためだったとの説がある。

こうして形づくられた寡占体制による「ぬるま湯」状態は、のちにEU加盟国間の市場が解放されると、フィアットの技術および市場競争力の低さを露呈してしまった。またフォード、GMといった外資量産メーカー工場が不在のため、自動車産業の命運はフィアットの経営次第という状態もできあがってしまった。

マルキオンネが描く「世界本社体制」という新時代のセンスに追いついてゆけない背景には、こうした外資不在体制に慣れてしまったことがあろう。今回のマルキオンネ発言をイタリアが受け入れられるか否かは、いわばイタリア流ガラパゴス状態から脱出できるかどうかの踏み絵かもしれない。

マルキオンネCEO 2011年クライスラー300 2011年クライスラー200コンバーティブル 著者近影